ホームステイ編
内容タグ:監禁・拘束、強制ボディチェック(羞恥要素あり)、首輪・抑制具、監視/プライバシー侵害、暴力描写、セルフネグレクト
収容棟の中、湿ったコンクリートの匂いが漂う一室。
鉄格子の向こうで、デュオは足を組んだまま壁にもたれていた。
両手首には手錠。
天井のLEDは寿命が間近なのか断続的に明滅し、影が彼の顔を切り刻む。
「大企業の牢屋ってのも案外みすぼらしいな」
声は軽いが、目は笑っていない。
規則正しい靴音が近づき、扉の外にスーツ姿の少年が現れた。
金色の髪に、静かな青の瞳。
「……デュオ・マックスウェル。重度義体改造者。多数の企業資産への襲撃を主導、および関与」
淡々とした声には、その若さに似合わない揺るぎなさがあった。
デュオは顎を上げ、口角を歪める。
「で、お坊ちゃん。俺を処分するのか?」
スーツの少年は静かに首を振る。
「いや。君には利用価値がある。君のような改造者は珍しい。処分するより、戦力として組み込みたいと思っている」
「……冗談だろ」
「冗談を言う立場ではないんだよ、僕は」
空気がひやりと冷えた。
カトル・ラバーバ・ウィナーは視線を横に向ける。そこには無言で待機する影がひとつ。
「ヒイロ。君に身柄を預ける。しばらく監視してほしい」
手錠が外れる音が響く。両手には新しい拘束具が嵌められた。
収監室から出た廊下の先に、義体の少年が立っていた。
何も言葉を発しない。瞳だけが冷たい光を宿している。
「へぇ……お前んとこにホームステイか。楽しくなりそうだな」
デュオの軽口に返事はなく、ただ踵を返す背中があった。
古びたアパートの一室。壁紙は剥がれ、配線がむき出しになっている。
窓にかかるブラインドはほとんど動かしたことがないらしく、埃が積もっている。
武器庫と作業スペースの他には、ベッドがわりの軍用の簡易寝台がひとつ置かれているだけだ。
キッチンからはかすかなノイズが聞こえてくる。さすがに冷蔵庫くらいはあるらしい。
デュオは鎖を鳴らしながら中を見回し、鼻を鳴らした。
「……味気ねぇな。ここで犬みたいに繋いどく気か?」
「カトルの指示だ。監視下に置けと」
ヒイロは作業机に向かい、端末を起動してキーボードを叩きはじめた。
デュオが肩越しに覗き込むと、画面に報告書のようなフォーマットが映っているのがちらりと見えた。
「カトル坊ちゃんの命令、ね。へぇ、ベッドあるじゃん」
デュオは笑い、簡易寝台の端にどっかと腰を下ろす。サイボーグの体重を受け止めて、フレームがぎしりと鳴った。
「お前がここで寝てるの、想像できねぇけどな」
返事はない。
デュオはわざと大げさに伸びをして、コテンと寝床から転がり落ちた。
鎖が床にガチャリと響く。
「へいへい。やれやれ、歓迎ムードってわけじゃねえらしいや」
無反応。
ヒイロの指は無言でキーボードを叩き続けている。
デュオは仰向けのまま天井を見上げ、笑いを洩らした。
「なあ、腹減ったんだけど。デリバリーとか頼める? ピザとか」
沈黙。
「……ってかトイレどこ? まさかここで垂れろとか言わねえよな?」
ヒイロの指が止まる。
わずかに視線をやり、低く、冷たい声が落ちた。
「……黙れ」
その一言に、デュオは目を瞬いた。
次の瞬間には、またニヤリと笑ってみせる。
「おっと。やっぱ歓迎されてねえな」
再び鎖をガチャリと鳴らし、彼は簡易寝台に転がり込む。
「で? 俺は床で寝るのか? それともお前と添い寝?」
端末の画面だけが冷たく光る。
ヒイロは答えず、報告書の作成を続けた。
夜が更けても、セーフハウスの空気は冷たかった。
窓の外では車のホログラム広告がちらつき、時折、赤や青の光が壁を流れていく。
ヒイロは端末に向かい、無言で指を走らせ続けていた。
報告書を書き終え、今はまた別の何かの作業をしているようだった。
その背後で、デュオは簡易寝台の上で鎖を鳴らしながら寝返りを打つ。
なにしろ寝転がる以外に何もすることがない。
ハッキングくらいならできそうなものだが、おそらく、気づかれれば殺される。
ネオンのちらつきが壁のシミを撫でる。
デュオは寝台から腰を上げ、鎖を指で弾いた。
「……トイレ」
昼間に黙れと凄まれてから行きそびれていたが、そろそろ尿意が限界だ。
ヒイロは今度は否定しなかった。
返事をしないかわりに即座に立ち、デュオを縛める鎖を握った。
そのまま、後ろを三歩下がって付いてくる。
「おいおい、そこまでガチで? 便器に拳銃でも隠しとくとでも思っ――」
言い終わるより早く、しかしドアは閉まらなかった。
ヒイロが枠に掌を添え、わずかに開いたまま固定する。
「……閉めろよ」
「確認だ」
腰のボタンが無造作に外され、ジッパーを下ろされてジーンズが床に落ちる。
ひやりとした空気が肌の表面を撫でる。
つぎはぎだらけの脚が露わになった。人工皮膚の修繕は腕同様に荒っぽい。
デュオは反射的に手を伸ばしかけ、ヒイロの指を止めようとした。無言の視線が刺さる。そこに羞恥の概念はない。脅威か否か、ただそれだけを測る冷たい装置の目だ。
「囚人以下、だな。犬でももっと目を逸らすぜ」
返事はない。鎖が床で小さく鳴った。
(義体は皮下にいろいろ仕込める。刃とか、ワイヤーとか、爆薬だって。――理屈はわかる。わかっちゃいるが、これは……)
笑い声に似た吐息が、便器の水音にかき消えた。
「なぁ……メシはどうすんだ? 俺、電池で動いてるわけじゃねえぞ」
返事はない。
「あっちに冷蔵庫あるじゃん。開けていいか?」
ガタリと立ち上がりかけた瞬間、ヒイロの視線が鋭く突き刺さった。
デュオは肩をすくめて腰を落とす。
「チッ、殺気立ってんな。じゃあ、風呂も借りられねえのか?」
それも咎められるだろうと思っていたが、意外にもヒイロの反応はそうではなかった。
「……風呂か」
狭いシャワールームに湯気が曇りを作る。
デュオはバルブを捻りながら振り向いた。ガラス越し、ヒイロの影は動かない。顔は向こうに向けているが、一歩も離れない。
「なあ、出てけよ。爆薬を石鹸に練り込む趣味はねえからさ」
返事の代わりに、影が一歩踏み込む。
扉が開き、冷たい指がデュオの二の腕を掴んだ。
義肢と皮膚の継ぎ目、腋窩、脇腹、腰骨、鼠径。指先はまるで工具のように、一定の圧で皮下をなぞっていく。異物の角、硬度、縫合線の不自然さを探す、機械的な点検。
「……っ、おい、触るなよ」
「確認だ」
冷たい指が義肢の継ぎ目から脇腹へ滑った瞬間、デュオの喉が勝手に震えた。
「ひ――」
声にならない音が漏れそうになり、慌てて歯を食いしばる。
ヒイロは気にも留めず、無機質な目で皮下を探っている。
恥も躊躇もなく、ただ異物を確認する手つき。
デュオは息を詰め、壁に掌を押し当てた。
「……チッ。冗談じゃねえ」
漏れそうになった声の余韻が、自分への屈辱を何倍にも増幅させていた。
(わざとじゃない。色気もない。だから余計に、タチが悪い)
ボディチェックを終えたヒイロは一歩下がり、元の位置で影になった。視線は外している――“ふり”ではない。本当に外している。だが微動だにしない。
「……冗談じゃねえ」
頭上から吐き出される湯の音が、この呼吸の乱れを覆い隠してくれればいいのにとデュオは願ったが、屈辱はそれだけでは終わらなかった。
シャワーを終えたばかりのデュオの首元に、冷たいものが触れた。
ピタ、と音を立ててシールが貼りつく。薄い膜のようなそれは透明で、貼られた箇所がじわりと熱を持つ。
皮下の電脳インターフェースが沈黙し、頭の奥が不自然に静まる。
「なんだよ、これは」
デュオは濡れた髪を払いながら吐き捨てた。
「シール遊びか? 剥がしたら血まみれかよ。ガキの罰ゲームみてえだ」
ヒイロは答えない。淡々ともう一枚、二枚とこめかみに貼る。冷えた指が額を押さえつけるたび、心臓が嫌な速さで跳ねた。
次いで、首に金属の輪がかけられた。カチリと音がして固定される。
さらに両手首にもブレスレット型の抑制具がはめられる。
皮膚と金属の間に電気信号が流れ、インターフェースの接触面がすべて潰された。
ヒイロは最後に短く告げた。
「電脳封鎖完了」
「……はっ、完璧じゃねえか。犬扱いって言ったのは間違いだった、こりゃ犬以下だ」
嘲るように笑ったが、笑いは渇いていた。
皮膚に貼り付いたシールは透明なのに、見えない重さで体を覆っている。
そしてその重さは鎖よりも深く、自分の中へ沈んでいくようだった。
シャワー上がりの髪を拭きながら、デュオは冷蔵庫を開けた。
今度は咎められなかった。
冷蔵庫の中身のバリエーションは乏しい。
銀色のパウチ。無味の水。ラベルには栄養価が整列しているだけで、色もなければ味の記載もない。
およそ普通の十代の少年が好むような食生活ではない。
「なあ。お前、これで生きてんのか。ピザとかバーガーとか好きなもん――」
「必要ない」
脊髄反射のように返る声。体温のない単語。
空腹だったはずなのだが、なんとなく食欲が失せて扉を閉めた。
机の上には分解された銃器。オイルの匂い。
その脇のコップには使い古した歯ブラシが何本も突っ込まれ、毛先は開き、変色している。隣の棚には新品の歯ブラシが未開封で整列していた。
「古いの捨てろよ。新しいのあるだろ」
答えはない。そもそもどうして歯ブラシが洗面所でなく作業机に置かれているのか。
ヒイロは画面の光に照らされ、影のように座っている。
ベッドは軍用の簡易寝台。変色した薄い毛布。擦り切れたシーツ。
壁は剥がれ、カレンダーも写真もない。時間だけが、端末の隅で冷たく刻まれている。
この部屋に生活感はある。あるのに、人間の生活の形をしていない。
デュオは乾いた笑いを立てた。砂っぽくざらつく音が喉で鳴る。
「……俺の人権がねえ、って文句言ってたけどよ。お前、自分の人権から捨ててんじゃねえの」
(こいつ、自分すら人間扱いしてねえ。自認が機械なんだ)
その事実が、鎖より重く手首に巻きついた。
沈黙。キーを叩く音だけが響く。
夜が更けていく。
ヒイロが就寝する様子はない。
デュオはわざとらしく笑って簡易寝台に転がり、鎖を鳴らして言った。
「俺をここに繋いどいて、お前が寝込みを襲わないって保証あんのか?」
ヒイロはわずかに振り返り、冷たく告げる。
「それは任務じゃない」
一瞬の間。
デュオは目を瞬かせ、それから声を上げて笑った。
「ははっ、つまんねえな。ほんと鉄仮面だな、お前」
やがて、簡易寝台のフレームが軋む音がし始める。
デュオは腕を広げて寝返りを繰り返し、毛布を蹴落とした簡易寝台の上でどんどん場所を取っていった。
「……くかー……あ、悪りぃそれ無理……」
寝息の合間に、意味不明な寝言まで洩れる。
ヒイロは端末から目を上げ、短く吐息を洩らした。
彼の銃は手元に置かれたまま。
朝が来るまで、デュオに背を見せることは決してなかった。
窓の外が淡く白んでも、セーフハウスの室内は薄暗いままだった。
ネオンの光が消えた分、かえって剥き出しの配線や剥がれた壁紙が目につく。
ヒイロはすでに端末の前に座り、夜通しの監視ログを整理していた。
隣の簡易寝台では、デュオが鎖を枕代わりにして大の字に転がっている。
寝相はひどい。簡易寝台から毛布を蹴り出して、自分は腹を出して寝ている。
「……”死神”の異名、聞き間違いだったか?」
低く呟いた声は、冷たさよりもわずかな呆れを含んでいた。
もしかしたら人違いとかなのかもしれない。あのカトルだって間違うことはあるだろう。
ちょうどその時、デュオが寝返りを打ち、ぼんやりと目を開けた。
「……んあ? おー、朝か。おはよ、相棒」
目の端にまだ眠気を残しながら、軽口だけは忘れない。
ヒイロは答えず、端末に視線を戻した。
デュオは鎖をガチャリと鳴らし、起き上がる。
「なあ、朝メシ。……冷蔵庫のやつ食っていい?」
返事はなかった。
代わりに、机の上に置かれた無機質なバーをひとつ投げられる。
銀色のパッケージがデュオの胸に当たって転がった。
「……へいへい、犬の餌ってわけね」
口では文句を言いつつ、腹が減っていたデュオはフィルムを剥いてそのまま齧った。
口の中の水分を奪う乾いた食感に顔をしかめる。
「……マズっ。これでよく人間やれてんな」
ヒイロは無言で銃を分解し、手入れを始めた。
いくつあるんだこいつの銃、とデュオは思った。
セーフハウスのドアが静かに開いた。
入ってきたのは長身の男――トロワ。
無駄な音を立てず、影のように部屋の入口に立つ。
もしかしたら入ってくる前にヒイロと回線でやりとりをしていたかもしれないが、今の電脳封鎖されているデュオには何もわからない。
デュオはベッドの端に腰掛け、入ってきたトロワを認めるとにやりと笑った。
「次のお客さんか? 観光ツアーは大盛況だな」
トロワは表情を変えず、ヒイロへ視線を投げる。
「任務だ」
「了解した」
ヒイロの答えは短い。即座に立ち上がった。
「おいおい、無視かよ。俺、ここじゃインテリア扱いか?」
デュオが鎖を鳴らして挑発する。
だがトロワは答えず、ただ出口へ向かう。
「……行くぞ」
ヒイロが冷たく告げると、デュオは肩をすくめ、立ち上がった。
エレベーターの扉が開いた瞬間、空気が変わった。
深紅の絨毯、幾何学模様の織り込み。壁面の真鍮ランプが柔らかく灯り、窓の向こうにはシアトルの夜景が広がっている。
香辛料めいた匂いが漂い、ここが企業の役員フロアだということを忘れさせるほどの異国感を帯びていた。
デュオは鎖を鳴らしながら肩をすくめた。
「へぇ……砂漠の王子様の宮殿に招待された気分だな。場違いすぎて笑っちまうぜ」
軽口を叩いてみせたが、笑いは空気に溶けなかった。
豪奢なラウンジの中、武器もなく拘束具をはめられた自分が、どれだけ滑稽に見えるか――デュオ自身が一番わかっていた。
ティーセットを用意された中央の低いテーブルの側、カトルが立って待っていた。
白い陶器のポットが茶葉と蜂蜜の混ざったような香りを漂わせている。
「ようこそ。気に入ってもらえるといいんですが」
カトルの声は穏やかで、部屋の空気そのものを掌握していた。
ヒイロとトロワは無言のまま歩み寄り、淡々と席に着く。
デュオは鎖を引きずりながら椅子を引き、背もたれにだらりと身を投げた。
「へえ、いい趣味だな。床にクッションでもあったら完璧だ。……あ、茶ぁくれる? 俺、カフェインないと死ぬんだわ」
鎖を机に投げ出しながら、挑発めいた笑みを浮かべる。
カトルはポットを傾け、陶器のカップに琥珀色の液体を注いだ。
「どうぞ。熱いので気をつけて」
「お、おお……ほんとに出るのかよ」
デュオは意表を突かれて一瞬たじろぎ、だがすぐに笑いで誤魔化す。
「へっ、サービスいいじゃねえか。そこの誰かさんより客の扱いをわかってる」
カトルは微笑を崩さず、指先で端末を操作した。
「さて――君をここに呼んだのは他でもない。次のミッションについて話をしよう」
デュオは顎をしゃくった。
「俺を囮にでも使う気か?」
「違うよ」
カトルの声はあくまで柔らかい。
「水中行動も、ハッキングも、僕たちにとって必要な能力です」
一瞬、デュオの背筋に冷たいものが走った。
(……こいつ、俺のスペックを全部把握してやがる)
テーブルの中央に立体映像が浮かび上がる。
薄暗い廃工場の内部、巡回するドローン、配置された警備兵。
「次のミッションです。輸送ルートを抑えている企業の倉庫。彼らのシステムを麻痺させ、物資を奪取するのが目的です」
ヒイロは短くうなずき、映像を凝視した。
トロワもまた無言で視線を走らせる。
一方でデュオはカップの中の液体をくるくる回し、わざと軽口をたたく。
「へぇ、俺も行くのか? まだ首輪付きのまんまだけど?」
ヒイロの視線がわずかに横へ動く。
「賛同できない。こいつは信用できない」
カトルは頷いた。
「もちろんです。信用していません」
一瞬、場の空気が張り詰める。
だがカトルの声音は静かで優しかった。
「でも、彼の能力は必要になるよ」
デュオは肩をすくめる。
「へえ。俺を買ってくれるのはこの坊ちゃんだけってわけか」
「買うというより……無駄にしたくないんです」
カトルは柔らかく笑みを浮かべた。
「君たちなら現場でも彼を管理できる。実力を見極めてほしい」
ヒイロは短く沈黙し、テーブルのホログラムから視線を上げた。
「……お前の命令なら従う」
「何度も言うけど、チームとしてのお願いだよ」
柔和な笑みがいっとき苦笑に変わり、また元の笑みに戻る。
「……もっとも、“命令”の形で伝えた方が、君は動きやすいのかもしれないけど。でも、それ以上の意味を見つけるかどうかは君次第さ」
「ふーん」
デュオが茶を一気に飲み干し、わざと大げさに息をつく。
「まあいいさ。お前らのオモチャになるのも、悪くねえかもな」
カトルの目は穏やかに細められ、三人の視線が交錯する。
静かな異国の空気の中で、任務が動き始めようとしていた。
ラウンジを後にすると、夜気が一気に肌にまとわりついた。
雨上がりの舗道は油を吸い込み、ネオンの光を滲ませている。
鎖の先に繋がれて、デュオは肩をすくめた。
「へいへい。これじゃあまるで夜のデートコースだな、相棒」
軽口は夜気に溶けたが、返事はなかった。
ヒイロは振り返りもせず、一定の歩調で進むだけ。
鎖が地面で擦れて、冷たい金属音を残す。
「おいおい、もうちょい楽しそうに歩けねえのか? 俺なんざリード繋いでネオンの光で散歩されてる犬だぞ」
笑って見せながら、デュオの目はビルのガラス越しに映る自分たちの姿を盗み見た。
繋がれた囚人と、冷たい監視者。どう見ても“チーム”には程遠い。
ヒイロは立ち止まり、振り返った。街灯が瞳に反射して、青白い光を宿す。
「口を閉じろ」
だがデュオにはわかっていた。
建物の影。屋上の死角。気配を殺して歩調を合わせる足。
姿は見えなくても、あの静かなサイボーグの気配がすぐ近くにある。――トロワだ。
「ちっ……護衛か監視か。どっちにしろ、逃げ場はねえってわけだ」
わざと口にしたが、ヒイロは反応しない
次の瞬間、ヒイロの耳元でかすかなノイズが弾けた。
短い送受信。
〈後方異常なし〉――トロワの声。
「了解」――ヒイロの低い返答。
電脳を封じられているデュオには、ただヒイロが無言で歩き出すようにしか見えなかった。
聞こえない会話。届かない声。
自分だけが、鎖ごと世界から切り離されている。
夜の街を抜け、三人は寂れた工業区へ足を踏み入れた。
金属の骨組みがむき出しになった廃工場。窓は割れ、赤い警告灯が断続的に瞬いている。
ヒイロは遮蔽物の影に身を潜め、周囲の動きを分析した。
「警備兵四人。ドローン二機。……正面突破は推奨されない」
デュオは鎖を揺らして笑った。
「さすが優等生。数字遊びはお得意だな」
鎖の音が夜に響く。
「だったら俺に任せな!」
「待て――」
トロワの制止を振り切り、デュオは影から飛び出した。
鎖の音が夜気を切り裂く。
両手が拘束されているせいで銃は構えにくい。だが逆に、鎖を敵の銃に絡め取り、思い切り引き倒す。
「おらよっ!」
蹴り飛ばされた兵士が壁に叩きつけられた。次の瞬間には膝蹴りが別の兵士の腹を抉り、倒れた相手の武器を鎖で遠くへ弾き飛ばす。
乾いた笑いが夜に響く。
「ははっ……いいねぇ!」
荒い息混じりの声は楽しげで、それでいてどこか虚ろだった。
「どうだ、即席武器も悪くねえだろ!」
鎖を振り回し、次の兵士を薙ぎ払う。
生き延びる算段はある。だが、もし今ここで倒れても、それはそれで構わない――そんな刹那感が背中に漂う。
荒々しくも瞬発力に満ちた動き。だが無防備すぎた。
「援護する」
トロワは正確な射撃でデュオの吶喊をサポートする。
だが次の瞬間、赤いセンサー光が閃いた。
ドローンがデュオの背後に回り込み、銃口を向ける。
デュオの回避は間に合わない。
機銃の銃口が火を噴く寸前――
「――っ!」
ヒイロが飛び出した。
閃光を切り裂く一撃。正確な射撃がドローンを撃ち抜き、金属片が火花を散らして床に崩れ落ちる。
その生じた隙に、デュオは一番近い遮蔽に飛び込み、壁に背をつけて息を荒げた。
危ないところだった。電脳封鎖されていなければ、自分で気づいて避けられたはずだったのに。
「……っはは……ちょっと派手にやりすぎたな」
デュオのいる遮蔽に駆け込んできたヒイロは無言で彼の腕を掴み、端末をかざした。
電子音が鳴り、手錠のロックが外れる。
「足手まといだ」
冷たい声が告げる。
デュオは外された手首をさすり、笑みを浮かべた。
「そう言う割には助けてくれんのな」
「任務を遂行するためだ」
短い答え。だがその瞳には、先ほどの狂気めいた笑いを見過ごせなかった痕跡があった。
拘束具が外れた瞬間、デュオの動きは別物になった。
鎖を投げ捨て、倒れた兵士の銃を拾い上げる。
その顔に浮かぶのは歪んだ笑み。瞳の奥にちらちらと赤い光が熾る。
「へっ……やっと本気出せるぜ」
次の刹那、銃声が工場に響いた。
弾丸をばら撒きながら、デュオは障害物を蹴って高く跳び、天井近くの鉄骨の梁を駆け抜ける。
飛び降りた先で蹴り上げた敵兵の銃を空中で掴み、逆手に構えて次の兵を撃ち抜く。
「はっはー! やっぱこうでなくっちゃな!」
哄笑と銃声が混ざり合い、廃墟にこだまする。
その立ち回りは乱暴すぎて無茶苦茶だが、突破力は凄まじい。
全身がまるで黒い鋼でできたバネ。義体の内側から弾けるような躍動。
ヒイロとトロワは遮蔽に身を隠し、正確に射線を通した。
無駄なく、確実に。
ヘッドショットで次々と敵兵を沈黙させ、デュオの背を守る。
銃声と火花が交錯する廃墟の中。
デュオの背が視界から消えかけた瞬間、ヒイロの声が鋭く響いた。
「前に出すぎるな!」
金属音すらかき消すほどの大声。
ヒイロは自分でわずかに目を見開いた。
――いまのは、何だ? 命令でも、警告でもなく!?
「心配すんな、相棒! 俺は死なねえ!」
デュオの返答は軽口だが、その瞬間から動きはさらに鋭さを増した。
最後のドローンが爆ぜ、残骸が火花を散らしながら床に落ちた。
工場の暗闇に、静寂が戻る。
デュオは息を切らし、銃を抱えたまま笑った。
「どうよ? 使えるだろ」
挑むような視線を受け、ヒイロは一瞥を返す。
「……まだ不十分だ」
だが彼の手は、もう二度と手錠に伸びなかった。
任務を終えた彼らは、夜の街を抜けてセーフハウスへ戻った。
廃工場での銃声と光の残響がまだ耳の奥に残っている。
ドアが閉まり、外の喧噪が切り離される。
狭い部屋に戻ると、空気が一気に重く沈んだ。
ヒイロは外した手錠を床に放り投げた。
デュオは椅子に腰を落とし、その手錠を拾い上げる。
鎖を指先で弄びながら、にやりと笑う。
「なあ、これ……記念に持っといていいか? 俺が鎖付きの犬だった証拠としてさ」
ヒイロは答えなかった。
無言で机に銃を並べ、ひとつひとつ手入れを始める。
金属が立てる冷たい音だけが響く。
沈黙に耐えきれず、デュオは続けた。
「けどよ……悪くなかったろ? 俺がいなきゃ突破できなかった。そうだろ?」
ヒイロの手が一瞬だけ止まる。
短く、吐き捨てるように。
「……無駄が多い」
「へいへい。お説教ありがとうよ、先生」
デュオは笑い、手錠を作業机に放り投げた。
ヒイロは視線を上げない。
だがその横顔には、戦場で耳に残った笑い声の影がまだ焼き付いていた。
部屋を満たすのは、銃の金属音と、乾かぬ鎖の冷たい響き。
信頼には程遠い。
だが、この夜から二人は確かに同じ屋根の下にいた。
窓際に立つと、曇ったガラス越しにシアトルの夜景が広がっていた。
高層ビルの灯りの隙間から、暗い海がわずかに覗いている。
油膜に覆われた湾の光がちらつき、誘うように瞬いていた。
デュオは無意識に手首をさすった。
そこにはもう鎖はない。だが、幻聴のように金属音が響いていた。
ホームステイ編:終