脱走編

脱走編

内容タグ:暴力描写、身体改造、義体損傷、精神的苦痛、微グロ、羞恥表現


液体の重みが身体を縛っていた。
瞼を開けると、濁った緑色の光が揺れている。
人工呼吸器の管が喉を塞ぎ、肺に冷たい空気が強制的に流れ込む。

──息が苦しい。

違和感に胸を掻きむしろうとしたが、手は思うように動かない。
皮膚には感覚がなく、機械に吊られたように浮いているだけだった。

(……俺は、ここにいたはずじゃない)

頭の中には確かに記憶がある。
地上での訓練。土の匂い。銃を握った重さ。
痛み、空腹、そして殺し合いの感触。
それらすべてが「昨日まで自分が生きてきた証」として、はっきりと焼き付いていた。

だが目を開けた瞬間、ガラスの向こうに「自分」が立っていた。

白衣の研究員たちを背に、ひとりの少年が無表情でこちらを見ている。
同じ顔をしている。
同じ目をしている。
だがあちらは乾いた床に立ち、こちらは液体の中で吊られている。

「……俺は、誰だ?」

喉から漏れた声は泡になり、液面に弾けた。
研究員の一人が計器を確認し、何かを記録する。誰も自分の問いに応えてくれない。

少年──オリジナルは、無言で一度だけ拳を握り、すぐに開いた。
ただそれだけの仕草が、複製に過ぎない自分へ下された無言の命令に見えた。


数日後、培養槽を出された。
初めての呼吸は肺を焼くように痛かった。
「12歳」として始まる生活は、ベッドも机もなく、ただ訓練と検査だけ。

食事は完全食のペーストとバー、そして水。
研究員は告げる。
「お前は兵士だ」
それ以外に自分を外側から定義する言葉を、一度も聞いたことがない。


水の滴る音が、訓練棟のコンクリートに響いていた。
白い照明は眩しく、匂いのない空気が肺を刺す。

二人は一定の距離をおき、向かい合って立った。
鏡抜きの鏡像。

「開始」
合図と同時に火線が走る。
オリジナルは膝を沈め、照準を合わせる。
クローンは反射で動き、肩口をかすめる弾丸を紙一重で避けた。

訓練。模擬戦。しかし銃のマガジンに収まっているのは紛れもない実弾だった。
「互いを殺すまで続けろ」と指示されている。

倒れるか、さもなくば壊れるか。
それが「合格」の条件。

クローンは胸を締めつける感覚を覚えた。
恐怖だろうか、興奮だろうか。
わからない。
なぜなら、水槽の中から見た顔と、今、自分を殺そうとしている顔が同じだから。

「……殺せるか?」
オリジナルの声は低く、淡々としていた。
命令でも、問いかけでもない。
ただ事実を確認するような、冷たい響き。

クローンは応えられない。
口が開かない。喉が焼けつく。

銃声が重なり、壁が弾痕で削れる。
熱い破片が頬をかすめた。

銃声が止んだのは、壁も床も弾痕で穴だらけになった頃だった。
クローンは肩で息をしていた。
頬には破片で裂けた傷。口の端に血の味。

だが、その血を舐めた瞬間、何かの衝動が弾けて、喉の奥から笑いがこぼれた。

「……は、ははは、ははははは!」

自分でも止められない。
痛みと恐怖が熱に変わり、笑いを呼ぶ。
それが「兵士」として刷り込まれた快感なのだと、本能が知っていた。

オリジナルは銃を下ろし、黙ってクローンを見ていた。
その目には嘲笑も驚きもない。
ただ冷静に「結果」を観察する研究者のような光があった。


「これは換装だな」
手術台に寝かされたクローンの上で、研究員が無表情でメモを取っている。
「生身の骨格はすぐ壊れてダメだな。スケジュールを前倒しして合金フレームに置き換えよう」

クローンは黙って視線を横に逸らした。
オリジナルは腕に軽い外傷を負っただけで、生体部分をそのまま縫合されている。

「……俺は使い捨てか」
小さく呟いた声は、誰にも拾われない。


三年近い月日が流れた。

訓練や実戦の中で負傷し、その都度壊れた部分を義体に換装していく積み重ねで、この頃にはクローンは骨格まで義体に置き換えられていた。
クローンは被弾や損傷が多いため、換装頻度が高く、オリジナルより速く義体化が進行したのだった。
ごくわずかではあるが、二人の性能差は明らかだった。


彼らの運命の日は唐突に訪れた。

メディカルベイで器具を片づけている研究員たちの会話を、オリジナルは偶然耳にした。

「上から通達だ。プロジェクトは凍結だとさ」
「莫大なコストに成果が釣り合わない。ガキの兵隊なんて政治的に持たないだろ」
「じゃあ処分か?」
「記録とサンプルさえ残れば十分だ」

数日後、深夜の訓練棟。
照明が落とされ、あたりには沈黙が満ちている。
オリジナルは自室の簡素なベッドに腰掛け、銃の整備をしていた。
背後の影に気づき、振り返る。

「……来たか」

そこにはクローンがいた。
まだ新しい義体の関節はぎこちなく、歩くたびにかすかな油の匂いが漂った。

「明日、脱走する」
オリジナルは事務的に言った。

「……俺もか?」
「当然だ。ここに残ればお前は解体される」

クローンは黙った。
記憶の中の「12歳までの自分」は、こんな決断をしたことはなかった。
だが今目の前にいる彼は、「未来を生き延びるための兵士」そのものだった。

「出口は?」
「地下の排水路。警備兵を殺してカードを奪う」

あまりにも簡潔で、あまりにも冷たい計画。
けれど、その口調は疑いようもなく本物の決意だった。

クローンは少しだけ息を吐いた。
そして、自分でも驚くほど軽い声で答えていた。

「……わかった。やろう」


深夜の施設は、機械の駆動音だけが響いていた。
警備兵は巡回を終え、退屈そうに端末を眺めている。
その背後に影が落ちた。

「……何だ?」

振り返るより早く、銃声がひとつ。
弾丸は眉間を撃ち抜いた。
男が倒れ、流れ出た血が床を汚す。

オリジナルはカードキーを抜き取り、無言で懐に収める。

廊下の奥からもうひとつの足音。
クローンが現れる。
顔は無表情、ただ瞳だけが異様に冴えている。

「……殺したな」
「当然だ」

互いの言葉は淡々としていた。
そこにためらいも後悔もない。

二人は並んで進む。
赤いランプが点滅し、警報が鳴り響く。
施設全体が目を覚ました。

銃撃。
弾丸が壁を削り、火花が散る。
オリジナルは正確に反撃し、警備兵たちの首と心臓を撃ち抜いていく。
クローンは反射で走り、敵の背後に回り込み、ほぼ零距離から刃を突き立てる。

廊下の先、鋼鉄の扉。
オリジナルがカードを通すと、重々しい音を立てて軋みながらゆっくりと開いた。

「排水路だ。走れ」

足元に広がるのは暗い水路。
腐臭と錆の匂いが立ち込める。
冷たい水を蹴り、二人は闇へ飛び込んだ。

背後で爆発音。
警備兵とドローンが迫る気配。
だがもう振り返ることはない。

クローンは息を荒げ、隣のオリジナルを見た。
駆ける水しぶきの中、その横顔は一切の迷いを持たない。

「これからどうする」
「生き延びる」

それだけ。
簡潔で、冷徹で、揺るがない。
その声が、この夜を生き抜く唯一の答えだった。


世間について、すぐに分かってしまった。
金の使い方も、噂の聞き分け方も、宿を確保する才覚も、二人の中にはなかった。

要するに、”人間を知らなかった”。

街に出ると、何でも金で解決するやつらがいた。
連中を見て、学んだ。
食い物には相場がある。寝るところは交渉次第。
だが交渉できるのは用心深い大人だけで、彼らはそのための何もかもが足りなかった。

金を持たないという事実は、すぐに名札の代わりになる。
二人が生存のために差し出せるものは、身体しかなかった。

依頼は短い。
荷物を運べ。見張れ。声を出すな。武器を突きつけて脅せ。
成功報酬はパーツか一晩分の寝床。
失敗の代償は説明されない。

唯一、値のつく仕事があった。
人を傷つけること。人を消すこと。
研究施設で刷り込まれた、ただひとつの技能。

やり方を学ぶ。
速い運び方、目立たない位置取り、合図の種類。
感覚がプログラムのように入っていく。
身体は反応を覚え、疑問は先送りされる。

兵器として育成された頭脳が、路上で生き延びるためだけに磨り潰されていく。


廃ビルの屋上。
遠くに街の灯が瞬き、足元は崩れかけたコンクリート。

オリジナルは膝を立て、銃を分解している。
クローンはその横で、半分に分けた灰色の栄養ペーストを啜っていた。

夜風に乗って、路上から肉と香辛料の焼ける匂いが舞い上がってくる。
灰色の食事とは違う、脂の甘い匂いと煙の温度に、オリジナルの目が揺れた。

「……それで満足か」
オリジナルが訊いた。

クローンが答える。
「足りる。必要な分だけだ」
そういう意味で尋ねたわけではないことを、この時のクローンは気づかなかった。


地下鉄の廃線跡。
天井から絶えず冷たい水滴が滴っている。
二人は背を合わせ、空腹で眠れない時間を過ごしていた。

「……生き延びられると思うか」

クローンが尋ねた。オリジナルの答えは簡潔だった。
「思う」

それだけで会話は終わる。
しかしその沈黙は、不思議と心臓の鼓動を落ち着かせた。


追跡部隊が迫る。
狭い路地に銃火が飛び交う。

オリジナルは正確に一人ずつ撃ち抜いていく。
無駄のない動作。
クローンはナイフを抜き、接近戦に飛び込む。
返り血を浴びても顔色ひとつ変えず、ただ冷静に敵を倒す。

戦闘が終わる。
地面に転がる死体を見下ろしながら、クローンの胸にざらついた感覚が残った。
快感ではなく、何もない、空白。

「……必要なことだった」
「わかってる」

二人は短く言葉を交わし、闇へ消えた。


深夜のコンビニ。
照明の白さが路地の闇を切り裂いていた。

オリジナルは銃を抜き、レジに突きつける。
「金じゃない。食料だ」
店員は青ざめ、震える手で棚の食品を袋に詰める。

二人はそれを奪って裏路地へ走った。
遠くで警報が鳴り響く。

雑居ビルの錆びた階段に腰を下ろし、袋を開ける。
弁当、パン、菓子、ジュース。
人工的な香りが漂い、クローンは一瞬目を細めた。

オリジナルは黙って弁当を開け、無表情で口に運ぶ。
米粒を噛み、飲み込む。
咀嚼音さえ立てない。

クローンも真似てパンを口にした。
柔らかさ、甘さ、油の匂い。
だが、いざ嚥下しようとすると喉が拒んだ。
胃が痙攣し、吐き気が込み上げる。

「……っ」
そのまま横を向き、全て吐き出した。
酸っぱい液体が喉を焼き、涙がにじむ。

オリジナルは手を止めない。
ただ、短く言った。
「お前にはまだ無理か」

クローンは吐き気で肩を震わせながら、荒い息を吐いて壁に背をもたせかけた。
オリジナルは視線を向けない。
袋から新しい弁当を取り出し、黙々と口に運ぶ。

吐き出した残りは、黙って足先で袋ごと端に寄せる。
手を伸ばせばまだ食べられるはずだが、無駄なリスクは取らない。

「……」

言葉はなかった。
ただ、水のボトルをクローンの前に置き、また自分の食事に戻った。


夜の廃ビル。
階段を降りかけたクローンが、膝から崩れ落ちた。
金属音が闇に響く。

「……! 動け……っ!」
脚部が痙攣し、言うことをきかない。
神経接続のエラー表示が網膜に点滅していた。

「立て」
オリジナルが短く言う。
クローンは歯を食いしばるが、義肢は応えない。

数秒の沈黙。
やがてオリジナルは彼の腕を取り、肩を貸した。
「闇医者を探す」


路地裏の闇医者。
オリジナルが血で汚れたクレジットを机に叩きつける。
「足りるか?」
横たわるクローンの身体をすばやく検分して、医者は鼻で笑った。
「ガキのフレームにしては上等だ。グレードは落ちるが中古パーツはある。直してやる」

油と錆の臭いが混じる部屋。
手術台の側には錆びた器具が並び、壁には乾いた血痕が残っている。

「そこに寝ろ」
闇医者は乱暴に言い、クローンの脚の医療ポートに麻酔を突き刺した。
「効きは悪いが我慢しろ。安物だからな」

足先の感覚が遠のく。
世界が霞む。
だが、それは長くは続かなかった。

金属が人工筋肉を裂く音。
冷たい器具が骨格をこじ開ける。
最初は鈍い痛みだった。
だが、突然、焼け付くような激痛が戻ってきた。

「……ッ!」
声が漏れそうになる。
歯を食いしばる。
顎が軋み、呼吸が乱れる。

「動くな。神経が千切れるぞ」
医者の声は乾いている。
気遣いも同情もなく、ただ作業を進める音。

痛みが神経を焼き切り、全身が震えた。
歯を食いしばっても抑えきれない。
脚が勝手に痙攣し、手術台の金属を鳴らす。
涙は出ない。しばらくメンテをしないうちに義眼の涙腺が詰まってしまった。

次の瞬間、生暖かい感触が太腿を伝い、股の間を流れて手術台に滴った。
クローンは顔を上げられなかった。

「……義体の制御が甘いな」
闇医者は鼻で笑い、作業を止めない。たぶん、よくあることなのだろう。

視線を横に向けると、壁際にオリジナルが立っていた。
腕を組み、表情はない。
止めもしないし、慰めもしない。
ただ黙って、最後まで見ている。
声をかければかえってクローンを傷つけると知っているからだ。
そのことをクローン自身も承知している。承知しているが──。

(……見られている)

痛みに震える体を、オリジナルに晒し続けなければならない。
それが何より屈辱だった。

「よし、付け替え完了だ」
医者が工具を放り投げる。
「数年は保つだろう。次も来いよ」

クローンは吐き気を堪え、手術台から立ち上がった。
足はふらつき、汗で全身が濡れていた。
麻酔の残滓と痛みがまだ神経を焼いている。


裏路地を全力で駆け抜ける。
背後では追跡ドローンの音が遠ざかっていく。
息を切らして立ち止まった瞬間、クローンは隣に並んだオリジナルを見上げた。
その時、ふと気づいてしまった。

(……目線が、上だ)

数センチの差だが、それは確かに存在した。
かつて鏡写しのように同じだったはずの身体が、もう違ってしまっている。

顔だちもほんのわずかだが、オリジナルは大人びた。

施設にいる間は、「標準規格」で義体が設計されているため、背丈は設計通りに伸びた。
しかし脱走後は違った。
オリジナルは普通に食事を取り、肉体が成長を続けている。
クローンは違う。逃亡中に換装できるのは闇市の中古パーツ。
そこに「成長」という概念はなく、壊れた部分をただ補うだけ。

(人間のように時間で成長することはない。俺は部品を換えないと変われない)
(金がなければ、俺は大人になれない)
(人間の食事も受け付けない)
(ならば、俺は、人間ではない。機械だ)

強烈な自己否認。

夜。
崩れたビルの陰で、クローンは低く呟いた。

「……俺たちは、同じなのか?」
オリジナルは視線を返さない。
「そうだった。今は、違う」

その言葉が、胸に突き刺さる。
同じ顔をしている。
同じ声をしている。
だというのに「違う」と切り捨てられる。
その痛みが、近く訪れる別れの予感を強くした。


地下鉄廃線。
錆びた線路に、雨水が流れていた。
LEDは砕け、天井から水滴が絶え間なく落ちる。
二人はその暗闇に潜んでいた。

遠くから、金属音が近づく。
企業の追跡部隊。
コンバットブーツが水を跳ねる足音、ドローンの羽音。
赤いレーザーが霧の中に走る。

「……来たな」
オリジナルが低く呟く。
クローンは頷くだけ。
二人の呼吸が同期した。

次の瞬間、閃光弾が炸裂。
眩い光と衝撃音が闇を引き裂く。

銃声。
オリジナルは正確に一人ずつ撃ち抜く。
最小限の動き。迷いも恐怖もない。
クローンは刃を抜き、敵陣のただなかに飛び込む。
返り血を浴びても、笑いは浮かばない。
ただ冷静に、冷徹に、命を奪っていく。

だが敵の攻撃は途切れない。
敵兵の数は増え、徐々に二人の防衛ラインは狭まる。

「限界だ。お前だけ行け」
オリジナルが短く命じる。
クローンは振り返った。
「……お前は?」
「ここで陽動する」

一瞬の沈黙。
水滴が線路に落ちる音が響く。
クローンの胸に熱い痛みが走った。
置いていかれる──その感覚。

「……一緒に抜けられる。一緒に行けるはずだ」
「いや、無理だ」

飛来する銃弾が壁を砕く。
オリジナルはクローンの肩を掴み、強く突き飛ばす。
直前までクローンがいた場所を火線が穿つ。

「行け!」

クローンは倒れ込み、よろめきつつ立ち上がる。
振り返った視線の先で、オリジナルが言い放った。

「俺のコードネームをお前にもやる。”ヒイロ・ユイ”を名乗って生きろ」

その声は銃声にかき消されそうなほどかすかだが、
確かにクローンに届いた。

それは、彼らがかつてひとつだった証。

そして、今日ここで別れる証明。

炎と煙の向こうに、オリジナルの影が見えた。
敵を正確に撃ち抜き、無言で前に進んでいく背中。

その横顔が閃光に照らされた一瞬、クローンの脳裏にこれまでの記憶が溢れた。
培養槽の中から見た顔。
路地裏で互いに背を預けて眠った夜。
そして今──炎の中で遠ざかる背中。

胸が焼けるように痛い。
声は出なかった。

足元の水を蹴り、クローンは出口へ走った。
振り返らなかった。
振り返れば、二度と前に進めないと分かっていた。

背後で銃声と爆発音が続く。
やがてそれも、遠い轟きに変わった。

暗い通路を抜けたところで、足が止まる。肺が焼け、喉が震えた。
それは笑いではなかった。
水面から引き剥がされた子どものように、音にならない嗚咽だけが漏れた。

彼はその場に崩れ落ちた。

そして二度と、オリジナルと並んで歩くことはなかった。


昼と夜が何度も巡った。


カトルたちは、小さな追跡任務のために廃工場街を抜けている途中だった。
任務は簡単で、単純なはずだった。

「あれは何だ」
裏道の暗がりで、五飛が足を止めた。
低く沈んだ影が、通路の片隅に丸まっている。

近づくと、それは人の形をした残骸だった。
人工皮膚のほとんどが失われ、金属のフレームが露出している。
脱落したパーツが周囲に散らばり、湿った砂埃がそれを覆っている。

顔面の片側は皮膚の代わりに青い合金の光を帯び、口元には固まった汚れ。
瞼は閉じ、睫毛に砕けた塩の結晶のようなものが付いている。

生きてはいる。
だが呼吸は浅く、意識はないようだった。

トロワが小型スキャナを取り出し、素早く読み取る。
表示は断片とエラーの羅列──長期の野外稼働を示す痕跡が並ぶ。

カトルはひと息つき、手袋越しにそっと肩に触れた。
冷たさが伝わるが、胸のわずかな鼓動も、確かにある。

短い間に状況を判断し、担ぎ上げる段取りが頭に組み上がる。
彼の無言の合図で二人が動く。

巻き上がる埃と油の匂いの中、カトルは小さく、しかし自分に言い聞かせるように呟いた。
「行こう」

「連れて帰るのか?」トロワが訊く。

「もちろん」カトルが答えた。

脱走編:終