閉塞編
内容タグ:暴力描写、監禁・拘束
セーフハウスの窓から、ネオンがちらついていた。
同じ広告が三十秒ごとに点滅を繰り返す。
それを何度目か数えるうちに、デュオは自分が壁のシミを数えている囚人に見えてきた。
「なあ、ちょっとくらい外に出てもいいだろ」
簡易寝台の上で、外した手錠の鎖を弄んでガチャガチャとわざとらしく鳴らす。
「メシもさ、俺が選びてえ。バーガーとかチキンとか……、犬の餌ばっかじゃなくて」
ヒイロは端末から視線を上げない。
「許可が下りていない」
まただ。
何を言っても、その返事じゃないか。
「……囚人かよ、俺は」
口では軽く笑ってみせる。
けれど胸の奥は、砂みたいにざらついている。
ヒイロのミッションにデュオも同行させられる日々が続いている。
その日の任務の途中。
廃駅の中で、デュオはふいに別の通路へ足を踏み入れた。
「ちょっと調べたいもんがあんだよ」
軽口の裏に、わずかな自由への衝動。
だが、すぐに肩を掴まれた。
ヒイロの声が冷たく落ちる。
「逸脱は許可されていない」
「……チッ」
デュオは笑ってごまかしたが、その笑みは引きつっていた。
今夜もヒイロは机に向かい、銃を分解して手入れを続けている。
金属の軋む音が、一定のリズムで繰り返されている。
簡易寝台に横になったデュオは、天井をじっと見つめていた。
手錠は最初の任務の日に外されている。
なのに、繋がれている感覚はいまだに消えない。
息を吐き、彼は不意に口を開いた。
「……前はな、仲間がいたんだ」
ヒイロの手が止まることはなかった。
デュオはそれを気にせず続ける。
「ときどき組んで、仕事して、手に入れた金で楽しいことやって……笑ってたよ。ほんとに、くだらねえ奴らばっかだったんだけどさ」
口元に笑みが浮かんだ。だが、どこか乾いている。
それくらいの違いはヒイロにも判別できるようになった。
「でもな。俺以外は全員死んだ。事故で潰されたやつ、敵に撃ち殺されたやつ、裏切られたやつ、……裏切って俺が手を下したやつ」
銃を磨く手の音が、やけに大きく響いた。
デュオは天井をにらむように見つめ、笑った。
「で、残った俺だけ“死神”って呼ばれる。……笑えるだろ。生き残ったのが悪いのかよ」
静かな沈黙。
ヒイロの視線は手元の銃に向いたままだった。
やがて、低い声が落ちた。
「……罪悪感は任務に必要ない」
デュオは目を閉じ、鎖を指先で弄んだ。
乾いた金属音が、虚ろに鳴った。
「へっ……そうだな。けどよ、気をつけろ」
わざと軽口めかして言う。
「俺の面倒見てると、お前も死ぬかもな」
笑いはあくまで軽い。
けれど、その瞳の奥には冗談ではない影があった。
――ヒイロは一瞬だけ手を止めた。
彼の笑みは、警告のように見えた。
夜の廃ビル。
ひび割れた壁の間を、三つの影が駆け抜ける。
先頭を行くのはヒイロ、すぐ後ろにトロワ。
二人は言葉を交わさない。
視線と呼吸だけで死角を補い、同時に遮蔽へ滑り込む。
発砲は最小限、弾丸のリズムすら揃っていた。
まるで二人でひとつの兵器のようだった。
その背後をデュオはついていった。
銃は握っている。動きも速い。
だが、それだけでは彼らの連携の輪に入ることはできなかった。
「……よっ、と」
敵兵を蹴り飛ばしながら、デュオはわざと声を出した。
誰も返事をしない。
銃声と足音だけが、冷たいビルの内部に響いていた。
胸の奥がじわりと重くなる。
まただ。
俺だけ浮いてる。
俺はいなくてもぜんぜん回る。
「おい、俺の見せ場は? 俺、いらねえんじゃね?」
軽口に乗せて銃を大げさに振り回し、派手に一人を撃ち倒す。
その瞬間、身体の動きが大きすぎて隙ができた。
別の敵が横合いから距離を詰める。
デュオの反応が一瞬遅れる。
ヒイロは即座に射撃でカバーを入れた。
敵は瞬く間に沈黙する。
「……チッ」
デュオは舌打ちし、銃をぶら下げたまま走った。
守られる形になったことが、胸の奥で鈍く響く。
余計者。
お荷物。
犬。
なんで飼われているのかまったくわからない。
笑っているふりをしながら、心の奥で別の声が囁く。
〈いずれ俺が足を引っ張って、こいつを殺す〉
〈そうなったら、やっぱり俺は死神だ〉
トロワが短く「制圧完了」と告げる。
その声が、輪の中に自分だけいないと告げているようで、デュオは笑みを貼りつけた。
セーフハウスの無機質な明かりの下で、デュオが不意に口を開いた。
「……ねぐらに荷物取りに行きてえ。出てきたまんまなんだ」
ヒイロは端末から目を上げない。
「任務に関係ない」
「へっ、何しようがどうせ坊ちゃんに筒抜けだろ。お前が監視してりゃ充分じゃねえか」
挑発めいた笑みにも、ヒイロは反応を見せない。
その時、ヒイロの端末が短く電子音を立てた。
「……カトルから許可が出た。無線通信だけ復帰する」
デュオの手首のブレスレットが低く鳴り、首元の抑制具も小さな音を立てる。
ロックの一部が外れる感触が伝わったが、重さはまだ残っていた。
「……はっ、鎖がちょっと伸びただけってか」
デュオは首の関節を鳴らし、皮肉を吐き出す。
ヒイロは答えなかった。
視線すら上げず、ただ端末に新しく開いた通信ログを確認している。
やがて彼は立ち上がり、無言で銃を腰のホルスターに仕舞った。
許可ではない。ただ「同行」を選んだだけだった。
裏路地の奥。
古びたアパートの扉には、企業資産管理部の封印テープが斜めに貼られている。
デュオが力任せに剥がして入り込むと、中は空っぽだった。
「……几帳面に片付けてくれたみてえだな」
軽口を吐きながらも、声は乾いていた。
壁際にはマーカーやスプレーで描かれたグラフィティがまだ残っている。
「バカ王」「今度ヌードル奢れ」「××参上」――仲間の笑い声が染み付いた落書き。
デュオは指先でなぞり、苦く笑った。
「消えねえんだな、こういうのだけは」
床に色あせた紙片が落ちていた。拾い上げれば一枚の写真。
銃を抱えた少年兵たちが砂埃の中で笑っている。
その中に幼い自分もいた。これだけが遠い故郷から持ってきたものだった。
しばらく黙って見つめ、デュオは小さく呟いた。
「……重てえな」
写真を裏返し、床に置いた。
持ち帰ることはできなかった。
背後のヒイロは無言。
ただ視線だけが写真に一瞬落ち、また冷たく部屋を見渡した。
次に足を向けたのは、かつてよく通った馴染みの屋台だった。
熱い鉄板の上で油が弾ける。煙とともに立ち上る、食欲をそそる匂いは以前と変わらない。
「よお、オヤジ! 久しぶりだな、元気そうじゃねえか」
明るく声を掛けても、返ってきたのは硬い沈黙。
「……お前、生きてたのか。死んだって聞いたぞ」
店主の目は、デュオの横に立つヒイロを一瞥し、すぐに逸らされた。
「悪いな。ツケはもうきかねえ。監視付きは勘弁なんだ」
差し出しかけたカップを引っ込めるその仕草が、胸に突き刺さった。
周囲の顔見知りも口をつぐみ、ヒイロの無表情を盗み見るだけ。
デュオは肩をすくめ、鎖の幻を引きずるように笑った。
「……へっ、ここですら歓迎されねえか」
ヒイロは無言。
瞳だけが、デュオの笑いの歪みを追った。
軽口が覆い切れていないことを、彼は理解していた。
屋台を離れ、デュオは廃工場の奥へ足を向けた。
「ここなら顔見知りがいるはずだ。昔はよくつるんでた連中でな」
焚き火の光に浮かび上がったのは、年の近い若者たち。
その中に、一人だけ見覚えのある顔があった。
「よお、まだ生きてやがったか!」
デュオは笑いながら手を挙げる。
一瞬、相手の目が和らいだ。
けれどすぐに、影が落ちる。
「……悪い。来るな」
「なんだよ、つれねえな。昔はよく一緒に荒らしたろ?」
軽口を叩きながらも、声の芯が揺れている。
若者は焚き火の炎に視線を落とし、吐き捨てるように言った。
「お前と組んだやつは、みんな死んだ。……もう縁起でもねえんだよ」
その言葉に、デュオの笑みがわずかに固まった。
「……死神扱いかよ。そりゃ筋金入りだ」
わざと大げさに肩をすくめ、笑いで包み隠す。
誰も返事をしない。
火の粉がパチリと弾けただけだった。
背後でヒイロが立ち尽くしている。
その沈黙が、余計に重くのしかかった。
ヒイロはその場を動かない。呼吸がひとつ、わずかに深くなる。
このままでは破滅する――そんな言葉が影のように浮かんだ。
ネオンがちらつく通りを、二人は並んで歩いた。
デュオはポケットに手を突っ込み、ふいに吐き捨てる。
「なあ、坊ちゃんにゃ何て報告すんだ?
俺が惨めなツラして仲間にそっぽ向かれたってことか?
……笑えよ。俺の恥を逐一ご報告だ」
ヒイロは答えなかった。
視線すら返さない。
「チームに入れたいって言ったのは坊ちゃんだろ。
でも実際は“お試し期間”継続中ってわけだ。……いつまでだよ」
デュオは笑った。乾いた、声にならない笑い。
「わかってる。お前にはそんな権限ないもんな」
夜風が二人の間を吹き抜け、セーフハウスへ戻る足取りはやけに重かった。
数日後、港湾地区。
鉄と油と潮風の匂いが混ざる夜風が吹き抜ける。
巨大なコンテナが積み上がり、クレーンのアームが黒い影を落としていた。
ヒイロは端末を操作し、監視カメラの死角を素早く確認した。
「警備兵六。ドローン二機。巡回ルートは三十秒ごとに交差する」
トロワは頷き、サプレッサーを装着した銃を構える。
無駄のない動きだった。
その横で、デュオは銃を弄び、にやりと笑った。
「ったく、犬の散歩も板についてきたな」
ヒイロは答えない。
冷徹な瞳が、敵の配置だけを映している。
銃声が走る。
ヒイロとトロワの連携は相変わらず無駄がなかった。
互いの死角を正確に補い、静かに敵を沈めていく。
デュオは走った。
遮蔽物から飛び出し、コンテナの影を駆け抜け、ナイフを抜く。
「ははっ……楽しくなってきやがった!」
嘘だ。全然楽しくなんかない。
笑みを顔に張り付け、銃弾を浴びる寸前で転がり込み、返す刃で兵士を倒す。
荒い息。
けれど、その目の奥は虚ろだった。
任務は成功した。
敵を制圧し、ターゲットの貨物を確保した。
夜風に、火薬と煙の匂いが混ざる。
ヒイロは奪取したコンテナを確認し、端的に言った。
「撤収する」
「了解」
トロワが従う。
デュオは一歩下がり、ふたりの背を見つめた。
何も言わずに進んでいく影。
そこに、自分の居場所はなかった。
「……余計者だな、やっぱ」
誰にも届かない声で呟き、笑った。
だがその笑いは、もう軽口の響きを持っていなかった。
港の奥には桟橋が続いていた。
冬の冷たい海が、荒れた水面に闇をたたえている。
次にヒイロが振り返ったとき、そこにデュオの姿はなかった。
声が鋭く爆ぜた。
予感していた。扱いきれないと知っていた。
それでも放置した――どうしていいのかわからなかったからだ。
そのツケが、いま目の前で払われる。
「……俺のミスだ!」
ヒイロは怒鳴る。
「トロワ、港の外周を押さえろ!」
返答を待たず、海沿いへ駆け出す。
コンテナの間を抜け、冷たい鉄の匂いと潮風の中を突き進む。
桟橋の突端。
欄干に引っかかった見覚えのある黒いコートが、海風に煽られていた。
今にも水面へ落ちそうに揺れている。
ヒイロはそれを掴み、濡れた冷たさを確かめた。
歯を食いしばり、息を吐く。
夜の港には、すでに彼の気配はなかった。
閉塞編:終