Running #11 The Vapour

 ここまで来るのに、六年かかった。彼は今までの年月とその間に重ねた苦労を思っていた。しかし、彼にはあまり持ち時間はなかった。一刻でも開発・商品化を急がなければ、誰に先を越されるか分からない。それが最先端技術の開発というものだ。
 得た実験データを元に一から被験者を選び出して、実験を行うつもりだったが、本来のシステムを使いこなせる被験者が存在しているとなれば、膨大に費やさなければならない時間は大幅に短縮される。
 そして、もっとも鮮烈なプレゼンテーションには、一体何がふさわしいだろうか?
 

『立ち話もなんだし、こっちに来てゆっくり話そう』
淡い緑の髪を持った少年は、そう言ってモニタの中から彼を差し招いた。カメラもマイクも存在しないのに、なぜ直接接続されていないヒイロとマトリックスの内外でコミュニケーションが取れるのだろうかと思ったが、ふと横を見ればデュオの瞳が開かれたままになっている。なるほど、マックスウェルと名乗る少年はデュオの感覚器官を通して外界の情報を得ているらしい。
 もっとも、本来は多重人格のひとつだというから、言葉通りにデュオの体は自分のものとして自由に扱えるのだろう。
 ヒイロが躊躇う素振りを見せると、マックスウェルはやれやれというように肩をすくめて、それから、ぱっと両手を広げて丸腰のポーズをしてみせた。すると、CGの前面に二次元の仮想スクリーンが展開して、現在ワークステーション内に駐在しているアプリケーションの一覧がリストとなって表示される。その中に、ペルソナやユーザに危害を加える可能性のあるプログラムは含まれていない。
「……いや。だめだ」
閉鎖マトリックスに入れば、盗聴の危険性は減少するだろう。しかしその間は体はほとんど抜け殻も同然になってしまう。
『……そう。残念だなー』
「訊ねたいことは山ほどある」
ヒイロはモニタの前に身を乗り出した。コンソールに手をつき、相手を正面から見据える。別に、心理的な作戦とかそういう類のものではない。真剣に話をしようとするときの癖みたいなものだ。
「デュオは、お前のことを知っているのか」
まだ、デュオが多重人格であることに信憑性を感じないヒイロは、まずマックスウェルに向かってそう訊ねる。どうしても、やはり演技ではないのかと疑ってしまうのである。ふるふるとマックスウェルは子供っぽく首を振って、言った。
『昔は知ってたよ。でも今は忘れてる―――忘れてるはずなんだ。一時期、デュオはひどくBTLにはまってて、このままじゃ近々駄目になってしまう、その前にって記憶をみんな封じてしまったんだ。だからオレはずっと眠ってた』
話すその素振りはデュオと非常に似ていると思うところもあれば、まるで似通っていないと思えるところもある。本人でなく他人でもない―――そう、何となくデュオとは兄弟のような間柄を感じさせる。目の前にいるCGの少年は、そんな雰囲気を持っていた。
「お前は、デュオの記憶を持っているのか」
『みんな持っているよ。そういう役割だから』
けろりとマックスウェルが答える。それから、ヒイロの顔色をうかがうように下から覗き込むと、少し苛立ちの色を見せる。
『まだ信じない?』
「どうだか」
素っ気無くヒイロが言った。以前、彼は記憶を無くしていることに気づいて戸惑っているデュオの姿を、まざまざと見たことがある。あの焦燥ぶりを見ていると、なおさらこの少年の存在はバカバカしいものに思われた。
 俺は、あの男に騙されていたのだろうか? デュオは記憶喪失でもなんでもなかったのか?
『ねえ、デュオの過去を知りたいでしょ?』
どうやらこのマックスウェルという少年はデュオと同じで、自分が無視されるのは我慢ならないらしい。
「たいして興味はない」
そう、彼はうそぶいた。本人に黙って裏口の扉を見つけてしまったような、何か裏切られたような、そんな複雑な気分だった。普段のデュオと、この少年と、いったいどちらが本物でどちらを信じればいいのだろう?
 

 その企業に引き取られたデュオは、そこで第四開発研究グループなる部署に所属することになった。もちろん、技術者としてではない。実験体である。それでも入った経緯が経緯であったため、子供で被験者の身でありながら、そこそこの生活を保証され、企業内の学校に通ってさえもいた時期もある。もっとも、一ヶ月と長続きしなかったのであるが。
 その企業では、あるプロジェクトに参加するストリートチルドレンあがりの被験者たちは、プロジェクトに関連するファミリーネームを与えられた。彼が与えられたのは『マックスウェル』という名前だった。
 外部とは隔てられた企業の中ですべてが完結する暮らしは快適ではあったが、何もかもが味気なく物足りなかった。それでも最初の頃はものめずらしさも手伝って退屈はしなかったものの、次第に慢性的に欲求不安になりつつあった。そして毎日何をするのかといえば、毎日が検査やテストと称する類の連続だった。それはペーパーテストであったり、なにか図案を見せられてさらに答えを要求されるものであったり、頭に電極の網をかぶせられて簡単な質問から複雑な課題をこなしたりといったものだったりした。中でも電位測定などの検査はほぼ必ず毎日といってもいいくらい繰り返された。また、コンピュータ関係の知識も改めて仕込み直された。
 思考訓練とかいう題目で、いろいろゲームのようなものもやらされた。刺激のない倦怠した生活サイクルの中で、それは彼の唯一といってもいいくらいの楽しみだった。もともと、デッカーという稼業自体がゲームに似ている。情報をフローしたり、ストックしたりのタイミングを読んで、同じデータでもいかに高価に取り引きできるか。あるいは要所要所に仕掛けられた防御プログラムを騙したり破壊したりして目標のシステムに潜り込むことも、結局やっていることは盗みであるとしても、それはとてもスリリングな経験だ。そんな彼が駆け引きや戦闘シミュレーションのゲームに熱中するのはごく自然なことだった。
 彼のほかにも数人、『マックスウェル』姓の人間がいた。顔を合わせたことは何度もある―――二十歳を越えて壮健そうな青年もいたし、彼と同じ年頃の少女もいた。検査や実験の合間や昼時の社員食堂で見かけることもあったが、とうとう言葉は交わせずじまいだった。
 一年後には、デュオ以外に『マックスウェル』の者はすべて姿を消してしまっていた。
 

 その企業の名はグリディロン・シアトル。
 ヒイロは息を飲んだ。まったくの偶然の巡り合わせなのか、それとも運命だったのか。単にデュオの運が悪かったのか。
 それは、ヒイロがSLMを追いかけた先に存在していた企業だった。今は、もう存在していない。
 

 そのシステムの概要については、マックスウェルもよくは知らない。ただ、どちらかといえば温和なデュオよりは、多少攻撃的な性格のマックスウェルの方が適性を持っているようだった。一回目の実験が失敗した後、マックスウェルにあわせてフォーマットが書き直され、マックスウェル―――いや、デュオ自身も脳外科の手術を受けた。何が行われたのか具体的にはわからないが、不安定に入れ替わる人格を、少しでも安定させるために処置を施したということだけは、当時の彼らには理解できた。さらに投薬が行われ、カウンセリングがなされた。
 デュオとマックスウェルは、システムに接続された時にだけ、二重意識として存在するようになった。彼らは初めて、個人と個人としてそこで出会った。
 

『昨日だったっけ、デュオに言っていたよね。ヒイロは確か、グリディロン・シアトルとSLMの関係について調べていたんだろう?』
「そうだ」
まだ、どことなく落ちつかない気持ちでヒイロは答えた。マックスウェルの話が真実であるという証拠は、まだどこにもない。しかし重要な手がかりにはなりえると思った。彼から得た情報をもとに再びあたれば、何か新しい事実に行き当たるかもしれない。
 それにしても、自分はどうしてここまでSLMに執着するのだろうか? テラスタイン社の壊滅の原因を知りたかった―――その欲求はすでに満たされている。あの時のデッカーには―――すでに復讐は果たした、否、わだかまりは残っていない。これ以上深入りすれば危険が待っているだけだ―――すでに危険な目に遭っている。渕の手先のエーツだけではない。SLMを追い続けて、いまやヒイロには敵が多すぎるくらいだ。
 SLMを追うことは、今のヒイロにはリスクが大きいだけで、何の利益も生まないのに。
『じゃあ、いいヒントになると思うな。「電脳神」はね、兵隊さんを使うんだよ』
どことなく謎めいた印象を感じさせる笑みを浮かべて、マックスウェルが言った。
「どういうことだ」
グリディロンとSLMの関係については、グリディロンがSLMを用いたシステムを開発していたらしいという、噂程度に不確実な情報でしか知らない。何しろ、現在その名前をもった会社は存在していない。同じ渕系列の会社が合併したあとには、以前の研究データはシステム内からまったく消えてしまったのだ。そのことは、直接その会社のシステムにダイブしたので知っている。あまり情報戦に詳しくないヒイロでもはっきりわかるほどに、そのグリディロン・シアトル社を合併した会社はただの―――本当にただのペーパーカンパニーだったのだ。つまり、調査は行き詰まっていたのである。
『そんなの、オレだってよくわかんないよ。でも電脳神―――向こうじゃデウス・エクス・マキナって呼んでたけど、なにかって言うと「できるだけ完璧にゲームに勝つ」システムなんだって』
――ゲームなんてしたことがない。
――へえ、あんたらしいや。
 いつか交わした会話が、ふと脳裏に甦る。ヒイロはチェスの盤と駒を思い浮かべた―――すると、なにか解決の糸口が遠くに垣間見えたような気がした―――。
『ふう。久しぶりにたくさん喋ったから疲れたよ。そろそろデュオに代わってもいいかな?』
マックスウェルがモニタの中で大きく伸びのポーズをして、それが合図のように彼のCGで構成された体は、下の方からだんだんとぼやけはじめる。
「マックスウェル、」
ヒイロは、やっと彼の名前を呼んだ。消えてしまう前に、訊いておかなければならないことがまだひとつ残っていた。
「お前の存在は……何だ?」
彼の問いに、すでに輪郭が甘くなり、細かい表情が判然としなくなったマックスウェルがまっすぐにこちらを見て、はっきりとこう答えた。
『デュオの痛みを引き受けるため』
ジャックアウトのメッセージと入れ替えに、マックスウェルの姿はモニタの中から掻き消えた。
 

 あまり遠くない距離から届いた爆発音で、彼は一気に目が覚めた。ストリートにいた頃の習慣で、つい枕の下を探ったが、当然のように何も出てこない。
 ランニングの上からシャツをひっかけ、廊下に駆け出ると、寮の誰もが同じように飛び出してきていた。非常放送が鳴り響いて、緊急避難を呼びかけている。皆着の身着のままでそれに従って非常口に向かって慌ただしく通り過ぎて行く。その有り様の不気味さに一瞬たじろぐが、すぐに気を取りなおして彼は部屋の中に駆け戻ると、衣服を手早く身につけ、サイバーデッキを持って改めて廊下に出て避難者とは反対の方向に駆け出した。
 この非常事態であるから、通常のセキュリティはすべて解除されている。もうひとつ知っている非常口から外に出ると、熱風が顔をあおった。真夜中のはずなのに、空が赤い。
 隣接して建つ研究所が燃えていた。
 朝から夕方まで、二年間を過ごした施設である。しかし彼は感傷にひたることもなく、火の粉が舞う中を走って、外の街と企業の敷地をわける壁に向かった。どこまでも続く壁に沿って少し行くと、所員が休憩できるような小さな林のような広場がある。その中に一箇所だけ、ちょうど良い場所に木が枝を外に向かって張り出しているところがあるのを、前から彼は知っていた。いつもは真っ暗なはずの林も、今は不気味な赤い色に染め上げられて、足下の不安はまったくない。赤外線があちこちに張り巡らされているはずだが、そんなことに構っている余裕はなかった。
 壁を支える三角形の補強壁に大きく欠けているところがひとつある。それが、例の木の枝が張り出している真下の壁なのだ。彼の頭くらいの高さにあるその欠けに手をかけて補強壁を登り、足をかけてやっとのバランスで立ち上がれば、今度は大枝に手が届く。
 渾身の力をこめてジャンプし、枝に飛びついて腕の力だけで伝って、補強壁の一番上に降り立つ。そうすれば、ほんの三十センチばかり跳ぶだけで壁を超えられる。
 彼はためらうことなく足場を蹴り、そうして二年ぶりに外の世界に戻った。
 

 デュオがゆっくり目を開けた。まるで長い眠りから突然目覚めたかのように戸惑っているのが、傍目から見ていてもわかった。
「オレ。今何やってたんだ?」
どうして自分はワークステーションにいるのだろう。確かバスルームで薬を打って、そこから出ようとしたところまでは覚えている。はずなのに、こうしてワークステーションに座っているまでの記憶がまったく欠落しているのだ。ここ数日、彼は同じ症状を繰り返している。しかし、今までと今が違っているのは、すぐ傍にヒイロが立っていることだ。
「お前。なにやってんの?」
ステーションの電源は落ちている。何も映っていないモニタを、穴が開くくらい見つめてから視線をヒイロに戻すと、やはりヒイロは立ち尽くしたままそこにいる。
「……お前こそ」
やっとのことでヒイロはそう言ったが、それきり何も言わない。その沈黙の気まずさに、デュオはまずい、と思った。まさか、あれがバレてしまったのだろうか?
「ご、ごめん。ちょっと寝ぼけてるみたいで、はは」
誤魔化しの照れ笑いを浮かべて、とりあえず頭を掻いてみる。しかしそれもヒイロには通用してくれなかった。
「昼間からそのようでは、急襲されても対応できないぞ。わかっているのか」
「えー? あ、そうだな」
ケーブルを切って、椅子を降りる。なんだか会話にデジャヴュを覚えて、ふとデュオはそこで首を傾げる。
 こんな会話を、確か昨日の朝も交わしたような気がするのだ。その時もデュオは前の晩からの記憶が飛んでいる。そうして、クリスと―――。
「でもさー、昼間っから襲撃かけてくる奴なんていないぜ。クリスもそう言ってたしさぁ」
 その場から離れようとしたヒイロが足を止めた。あまりの動作の突然さに、思わずデュオは動きを止めたままで、彼の次のリアクションを待ってしまう。
 そうだ。その可能性があったのだ。ヒイロは唇をかみしめる。それがデュオには見えていないだろうということが、今のヒイロには幸いだった。
「……デュオ、支度をしろ。すぐにここを出る」
ソファに引っ掛けたままのアーマージャケットを羽織り、なおもきょとんとしたままのデュオを急かす。一刻も早く、ここを出なければならない。平穏な今のうちに。
「な、なんだよ、いきなりそんなこと」
状況の読めないデュオは慌てた。ろくに服も着ていなければ髪も結っていない。髪を結うのはゆっくりあとでもいいと思って、手近にあった服を着て、ワークステーションの椅子にかけていたアーマージャケットを身につける。奇しくもそれは、最初にヒイロと出会ったときと同じ組み合わせだった。もっとも、そんな細かいことに気づいている余裕はまったくなかったのだが。
「銃を忘れるな」
すぐにも出て行こうとするヒイロに、あわててデュオはステーションにパスロックをかけると、コンソールからサイバーデッキを切り離す。いくら急いでいるとはいえ、これを手放すわけにはいかない。高価でもない命の次に大事な商売道具であり、遊び道具なのだ。
 バッグにデッキを入れて外に駆け出すと、すでにマンションの玄関脇にレイピアをアイドリングさせてヒイロが待っている。ヘルメットを投げ渡されて後部座席にまたがれば、すぐさまブレーキが解除され、レイピアは昼日中の道を疾走し始めた。昼間とはいえ、身を切る風は冷たく、みるみるうちに体温を奪って行く。
「鍵かけてきた」
「照明は?」
真っ直ぐ前を見据えたままでヒイロが訊いた。鍵は今デュオがズボンのポケットにつっこんでいる。
「つけっぱなしであと適当にノイズ流しといたぜ」
「上出来だ」
角をいくつか曲がって、やがて多少人通りのある道路に出た。昼間の大通りは、デュオの知る夜の顔とはまったく違った表情を見せていた。若者たちが道端で愉しげに言葉を交わしたりゲームをしたり、企業の人間とおぼしきスーツ姿の人々がその傍を、目をくれようともしないで急ぎ足に行き過ぎる。かと思えば、街頭ではまだ子供のような体形の少女がロックバンドを従えて歌を歌っている。まわりには若い男女が集まって、ぱらぱらと拍手や歓声が飛んでいる。
「これからどこに行くんだ?」
通り過ぎて行く光景を横目で見送りながら、デュオが訊ねる。道路はまるで行きつけたこともない方向にのびていて、デュオには行き先の見当がつかなかった。
「封鎖区」
短くヒイロが答えた。封鎖区? とデュオは首を捻る。封鎖区とは東京紛争の際に壊滅的な被害を受けた地域の総称である。主に羽田周辺を指し、一時は無国籍外国人という扱いしかされなかったメタヒューマンたちが強制収容させられたという過去がある。強制収容はつい最近の二〇四五年まで続いていたというから、けして過去の話ではないのだ。
 だから、今でも廃墟になった建物が多く、その谷間には、今でも数多くのメタヒューマンたちが、スラムを形成して暮らしている。
「いざという時のために、以前から用意していたアジトがある。俺以外の人間を入れるのはお前が初めてになるがな」
「オレたちが、そんなとこ行っていいのかよ?」
「封鎖区に住んでいるのは、まともな生活能力のない亜人間たちばかり、か?」
ヒイロが皮肉めいた言葉を口にするのは、滅多にないことだった。しかもその台詞になにか激しい感情がこめられているような気がして、デュオはヘルメットさえなければ今、ヒイロがどんな表情をしているのか見られるのにと思った。しかし後ろからヒイロの腰につかまるかたちで後部座席に乗っているデュオには、残念ながらヒイロの顔はまったく見えなかった。
「そんなことねぇよ。孤児だったオレの面倒を見てくれたのは、エルフやらオークやらの集団だったんだからな」
慌てて弁明しながら、どうしてやけにつっかかってくるような物言いをヒイロがしたのか、デュオは疑問に思う。
「『激怒の夜』のあとのことだ。メタヒューマンの安全を確保するためと称して、政府は戦災地区にメタヒューマンを強制収容する政策を行った」
歴史を語る言葉に感情はなく。
「当時俺は七歳だった。あの日のことは、良く憶えている」
デュオが背中で息を飲むのがわかった。それでも、ヒイロは構わず言葉を続けた。今までずっと、誰にも言わなかったことだ。誰にも言えなかったことだ。なぜなら、自分自身がその記憶を遠くに封じ込めていたのだから。
「もしかして、お前、」
「俺には半分、エルフの血が流れている」
息を飲んだのは、ヒイロがメタヒューマンの血をひいていたからではない。むしろ事実を告げる時の、彼の声の力強さに驚かされたからだ。
 彼はずっと孤独に戦いを続けていたのかもしれない。SLMを巡って、企業を相手に孤独な戦争を始める前から、そうして生まれと戦ってきたのかもしれない。侮蔑や、憐憫や、安っぽいヒューマニズムはデュオの心には起こって来なかった。その代わりに生じたのは、ある種の理解、納得、悟りに近いものだった。
 だからヒイロは強いのだ。だから誇り高いのだ。そのヒイロが自分に真実を話してくれた。
 それがただ嬉しくて、それがさらに重圧を生んで、デュオはヒイロの背中に、ヘルメットごと頭を押しつけた。
 みずからのうちに起こりつつある、小さな変化に気づくこともなく。
 

 彼らが踏み込んだ部屋は、もはやもぬけの空だった。
 

 新しく移ったアジトには何もなかった。廃棄されたビルの一室にひそかに造られたその場所は、最低限寒さをふせぐ設備もなければ家財道具もない。どこから拾ってきたものか、古いパーティションが風をさえぎってくれるのがせめてもの幸いで、寒さが大の苦手なデュオにはかなりこたえる環境だった。ここにあるのは武器や弾薬や、何に使うのかデュオには判然としない機器類ばかりで、逆に電気はまったくない。つまり夜にともす照明もなく、サイバーデッキに使うバッテリの充電すらもできないのである。まことに深刻な事態といわざるを得ない。
そもそも長期に潜伏するための場所ではないから、居住性を求める方が無理な話ではあるのだが。
 ないない尽くしのついでに、ここにはプライベートもなければ衛生観念もない。下世話な話だが、このあたりの住人たちがそうしているように、用を足すには下水道に降りるしかない。一枚しかない毛布をどちらが取るかとくじ引きをしたらデュオが当たりを先に引き当てたので、くるくると猫のように丸まって眠るのだが、起きている間も手放せないので結局、交代で見張りをしていてもヒイロは上着だけかぶって眠っている。まるで数年ぶりにストリートでの生活に戻ったような感覚だった。


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