Cybernetic Nomads

Chapter 1

それはごく簡単な仕事のはずだった。舞台は依頼人の手によって完璧に整えられ、そこへ上がる演者たる俺たちは、与えられた端役をこなすことだけを要求される仕事―――侵入し、戦い、目的の物品を入手する―――これまでにいくつかの仕事を経験してきた俺たち『掃除屋』の力量からいっても、役に忠実でさえあれば、それは確実に成功する舞台だった。無論、報酬として与えられる額は、リスクに見合った額を報酬とするシャドウランのそれとしても、あまり多いものじゃない。そのことがチームに『小銭稼ぎの仕事』という意識を生み、プロらしからぬその意識は、払い切れない犠牲をチームにもたらすことになった。
つまり、俺たちがほんの少し『何か』に気をとられたばかりに、俺以外の全員の命が失われたってことだ。死ぬ瞬間、あいつらに悔いる隙はあっても、あいつら自身の魂の行く末を案じる暇はなかっただろう。
生き残ったのはたったひとり。
唯一、離れた場所から電脳空間に侵入し、侵入部隊のバックアップの任についていた俺だけが、生き延びることができた。
あ、自己紹介が遅れたな。俺はデュオ。電脳戦のスペシャリストにして、影の世界を歩む者の端くれだ。
電脳空間から仲間の死を見届けた俺が最初にしなければならないのは、確保済みのルートを用いて脱出を図ることだった。
「……ま、運がなかったってことか。仕方ないな」
ストリートギャングやソウルパ、ヤクザの縄張り争いの間で息を潜めるように生きてきたストリートチルドレン上がりのランナーチームとしては、『掃除屋』は長く生き延びた方だろう。外からの流れ者に過ぎなかった俺に、あいつらはよくしてくれたと思うし、一応仲間を悼む感情はないわけじゃないが、緊張状態の連続の中にあって悲しいとか悔しいとかいう思いはなかった。涙を流す方法にいたっては、とうの昔に忘れてしまっているし。
髪の生え際に埋め込んだジャックから手探りでプラグを引き抜き、サイバーデッキにつながるもう一本のケーブルをネットワークから切り離す。十秒のうちにデッキのパワーを落として手早くケーブル類をまとめてバッグに押し込み、肩にかけて立ち上がる。ズボンの後ろに突っ込んでおいたハンドガンをかわりに引き抜いて安全装置をはずし、脱出口を目指して走り始める。背中で、長く編んだ褐色の髪が勢いよく跳ねるのがわかった。
このビルは二十四時間眠らない。白々とした蛍光灯の明かりが、俺の行く手を照らし出す。音ははっきり聞こえないけれども、ビルのどこかが騒然としている雰囲気が感じられる。前もって紛れ込ませておいた登録データでバイオメトリクス認証をすり抜け、非常階段を駆け下りて、資材搬入専用通路から一気に外に出る―――出られるはずだった。
そこに人がいなければの話だが。
「なっ……!」
驚きを含んだ俺の声に振り返ったその人物は、出入りの清掃業者の制服とおぼしきつなぎの作業服―――胸にサウスウェストヤニ・クリーニングサービスのロゴが張り付いている―――を着ていたが、支給された服のサイズが合っていないらしく、袖と裾を折り上げて丈をあわせていた。帽子を目深に被っているせいで顔はわからないが、ばさばさに切った黒髪が収まり切れずにはみ出している。たぶん人間でしかも男だと思うが、女だとしたら相当な不精だ。背はあまり高くなく、俺と同じくらいしかない。
この深夜に清掃業者が働いているわけがない。ほとんど反射的にハンドガンを突き出し、引き金を二度引いた。身体を戦闘用に改造した者だけが扱える大型の拳銃が発する銃声が廊下に響き―――否、響くことはついになかった。
「!」
節くれだった手が、無造作に銃身をつかんでいる。俺よりも奴の方が速く動いたのだ。いつの間に間合いを詰められたのだろう?
「……くっ!」
引き金を引いても遊蓋が動かない。さほど力を入れているようにも見えないのに、溶接してしまったかのようにびくとも動かない。
「判断が甘い」
「えっ?」
次の瞬間、強烈な衝撃が右腕を襲った。神経信号を薬品と機械で増速し、スマートリンクの補助を受けた俺の抵抗をかわし、そいつは一瞬の隙をついて手刀を叩き込んだのだ。
筋肉が弛緩し、開いた手からハンドガンが落ちる。武器を奪われる、と思った俺はとっさに足を踏み出し、相手の足元を払おうと試みた、でもそれは無駄な努力に終わる。そいつは俺の予測通りの行動を取らなかった。
「……同業者か」
光を淡く反射する床の上を滑っていく鉄の塊を見やり、感情のこもらない低く平坦な声で、そいつ―――声を聞いたので、男だとはっきりした―――は言った。言葉の裏にある意図をまったく感じさせることのない口調だ。
「あ、ああ……」
何となく気圧される雰囲気を感じて、愚かにも俺は正直にうなずく。足払いをかけようとした直後から、反撃に出る機会はいくらでもあった。経験を積んできた俺の理性は、目前の障害を排除せよと命じているし、増幅された反射神経と天性の運動能力をもってすれば、それは不可能ではないだろう。だけど実際の俺の行動は、それとまったく正反対のものだった。
壁を何枚か隔てた向こうから、複数の足音が聞こえてくる。物音を聞きつけられたのだ。間もなく、このアドースト・セキュリティセンターに常駐している武装警備員がやってくる。彼らに限らず、企業をガードする警備組織は侵入者に対して容赦しない。企業法は彼らに、所属企業私有地における不法侵入、傷害、殺人、窃盗等のあらゆる犯罪について、その場で現行犯を処断する権利を保障している。
覚悟を決める俺の前で、そいつは再び口を開いた。
「助けてやる。ついて来い」

車載された狭苦しい機材ケースに隠れ始めて四時間あまりが経過した頃になって、誰かの手によって蓋が開けられた。つなぎの作業服を着たあの男が、蓋の向こう側からこちらを覗き込んでいる。
「出ろ」
命令するような口調に応じ、俺はバッグを抱えてケースから這い出した。長時間無理な姿勢をとり続けていたために身体のあちこちの関節が痛む。でもそれだけだ。傷らしい傷ひとつすらない、たぶん幸運なことだ。
「これを着ろ」
車窓の隙間から差し込んでくる昼の光に目を細める俺の前に、ばさりと音を立てて何かが放り出される。取り上げてみると、それはそいつが着ているものと同じつなぎの作業服だった。
一見普通の服にも見える防弾ジャケットを脱ぎ、与えられた作業服を身につける。ジャケットはサイバーデッキのバッグに一緒に押し込んだ。目立つ三つ編みをつなぎの中にたくし込み、帽子を被る。
「おれが離れている間、適当な所に隠れておけ。ただしオフィスエリアには入るな」
「あんたは?」
「やることが残っている」
そいつは言い捨てて車を降り、それから一度車内を振り返った。
「一時間後に戻る」
「それまでに逃げてるかも知れないぜ」
「止めるつもりはない」
俺の予告とも冗談ともつかない言葉に、奴は冷ややかに言い放つ。

Chapter 2

結局、俺は逃げなかった。身を隠す先をあえて指定せず、時間だけを告げたということは、奴には少なくとも今すぐ俺をどうこうしようという気がない証拠だし、勝手のわからない領域で何の情報もなしに行動を起こすのはあまり誉められた行為じゃない。
一時間後、果たして奴は戻ってきた。不幸というか幸いというべきか、俺はパートタイムの仕事すら経験したことがないので、オフィスの中で一体何が行われているかなんてのは、ネットワークに流れるコンテンツで見聞きした内容から想像することしかできない。それでも何となく、刺激的な出来事があったわけじゃないということだけはわかった。当然のことだろうけど。
互いに無言で乗り込み、サウスウェストヤニのロゴが大きく描かれた電動車は再び走り始めた。一度車を降りて屋内を探検したことで、先ほどの建物がサウスウェストヤニ・クリーニングサービス社の社屋であること、この車が社用車であることを俺は知った。
今もハンドルを握っているこの男が俺の同業者であるというなら、奴の今の格好は偽装に違いない。
敵なのか、それとも味方なのか?
沈黙のうちに時間が過ぎていく。俺は車窓の外を流れていく風景を眺めるふりをしながら、ずっとそいつの挙動を見張っていた。命より大事なサイバーデッキはバッグと一緒に足元に、ハンドガンはつなぎの中に隠している。素手で人を殺すことはできなくても、何発かで気を失わせるくらいの心得はあるつもりだ。
もっとも、ついさっき、その自負を裏切ってくれたのが、無口にハンドルを握り続ける隣の奴なのだが。
車はスポーケン通りに入って西シアトル地区を離れ、東に向かって走っている。
俺の暗い期待に反して、奴は何もしなかった。気味が悪いほど無表情に黙りこくって、前だけを凝視している。それが性分なのかもしれないが、どこか危なっかしささえ感じられる雰囲気を持っているように思える。
「……名前」
あまりの静かさに俺が暇を持て余しはじめた頃になって、ぼそりと奴は言った。
「……は?」
向こうからリアクションを起こしてきたことに俺は多少驚き、間抜けにも思わず聞き返す。
「呼ぶのに名前が要る」
一度で意思が通じなかったことに苛立ちを覚えたのか、いささかむっとした表情で奴は繰り返した。だったら俺も負けているわけにはいかない。本来、シャドウランナー同士で正論を吐いたって不毛なだけなんだが。
「そういう場合は、まずそっちから名乗るもんだろう」
そう言ってやったら、
「ヒイロ」
間髪入れず名乗りが返ってきた。
「へえ、変わった名前。おれはデュオ」
本当は通り名でなくて、適当な偽名を答えるべきだったかもしれないが、俺は正直に通り名を教えた。通り名を知られたぐらいで身を危うくするようでは、この稼業は勤まらない。
「専門は」
「電脳戦。おまえは?」
表沙汰にできない非合法な依頼をこなすシャドウランナーでも、得意とする分野は人によってさまざまだ。例えば俺なら、侵入専用にカスタマイズされたサイバーデッキを操り、ネットワークを支配することができる。他にも天性の魔法の才能を生かして強力な元素精霊を支配する者、機械やナノマシンを体内に埋め込み、極限にまで引き上げた戦闘力を持つ者、あらゆる階級の人々とのコネと豊富な経験、明晰な推理力と鋭い洞察力を武器とする者だっている。ヒイロといったっけ、こいつは―――
「潜入、破壊工作」
なんとなく納得した。納得したついでに訊いてみる。
「こっちも質問したら答えてもらえるのかな」
「場合による」
ヒイロの言葉には無駄がない。コミュニケーションを円滑に行おうなどという意志の一切感じられない、必要最低限な単語だけを選び抜いたかのような奴の言葉遣いから、敵意やその反対の感情を読み取ることは難しい。
「おれはこれからどうなる」
「午前九時二十五分」
こちらの意図などお構いなしといった風情で、ヒイロは言った。くすんだ緑と青で塗装された社用車は、もうじき橋にさしかかろうとしている。自動運転装置が切られ、混雑してもいないのにブレーキが踏まれ、制動がかかった車は速度を落とし始めた。運転席の時計が指す時刻は午前九時三十三分、だめだ随分ずれている。俺は反射的に体内のサイバーウェアを支配するシステムクロックに問い合わせをかける。今現在の正確な時刻は九時二十四分三十秒。窓の外には南北に走る運河が見える。ここはウェストウォーターウェイの上に架かる橋、すぐ先にはイーストウォーターウェイを渡る橋がもう見えている。
「とある清掃会社の派遣した社用車にトラブルが発生し、五秒後に爆発が起きる」
淡々とヒイロは告げる。これは三十秒後に起こる未来、つまり奴がこれから起こす行動を予告しているのだ。
「ドライバーは生死不明。調査の結果、車にはあらかじめ爆発物が仕掛けてあったことが判明するが、犯人および動機は不明―――で、」
ヒイロはハンドルから片手を離し、つなぎの作業服のポケットからクレッドスティックほどの大きさの何かを取り出した。そして訊ねる。
「おまえはこのシナリオにどう関わる?」
「……つまり?」
「おまえがどうしたいか次第だ」
どうしたいかって? 冗談じゃない、あと十秒ちょっとしか決断に使える時間は残っていないってことだろう?
「犯人役は勘弁してくれ。そういう粋じゃないの、嫌いなんだよ」
「下は海だ。偶然、自動操縦の無人小型船が通りかかるだろう」
速度はもうかなり落ちてきている。空いているとはいえ、後続の車間距離は次第に縮まりつつある。コンピュータ制御の交通システムは渋滞を感知して各車の速度を自動的に抑制させ始めたようだが、これ以上の他の車両の接近を許せば、それを巻き込む事態になるかもしれない。だがヒイロは、そういったことにはまったく頓着しない性格のようだった。
「時間だ」
ヒイロはブレーキペダルを蹴りつけるように踏み込み、急制動をかけて勢いを殺しつつ橋の安全地帯に車を突入させた。停止から間髪を入れず左手に握ったスイッチを押し込むと、バシュッと泡がしぶくような音を立てて、車外に白煙が立ち込める。俺はすかさず助手席のドアを蹴り開け、太いワイヤーのテンションで構成された欄干をくぐる。ほとんど零に等しい視界の向こうで、同じように欄干の外に飛び出す影が見えた。
その刹那に爆発が起こる。至近距離で聞く、すさまじい爆音が耳を裂き、一瞬何も聞こえなくなるほどの衝撃波が身体を襲う。
煙の中から生まれた莫大な炎と熱風が吹きつける瞬間に、俺は朝の光を受けて輝く遠い海面を目掛け、橋の上から飛び降りた。
完全に気密されているとはいえ、衝撃でバッグの中身が壊れませんように、と祈りながら。

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