週末には火星人とお茶を サンプル版

A.C.197年 6月

 アフターコロニー暦一九六年、後に《イヴ・ウォーズ》と呼ばれることになる、地球圏全域を巻き込んだ一日間の戦争が終結して一年半が過ぎようとしていた夏至の頃、旧ルクセンブルクの首都ブリュッセルで開かれた地球圏統一国家議会において、前年十二月に提出されたとある法案が賛成多数で可決された。

 ひとつは、長年諸般の理由で放置されてきた火星地球化改造を、移民を推奨し政府主導の下で民間資本を投下することによって再点火するための、通称『テラフォーミング法』と、その関連法の数々。
 もうひとつは、イヴ・ウォーズの戦争犯罪者として裁かれるはずの者たちの罪を不問にする代わりに、彼らに新しい身分を与える―――すなわち、政府の運営する各組織に秘密裏に所属させ、社会の目から隠蔽すると同時に、彼らを監視し統一国家に奉仕させるための法律。

 このふたつの法律は、イヴ・ウォーズの遠因のひとつとなった者たち、すなわちガンダムパイロットを務め、地球圏に戦火を放った少年たちと、彼らに関わった者たちを火星へと引き付ける運命を与えた。

A.C.198年 1月10日 午前0時

 地球を離れること、約六百光秒の彼方。
 地球軌道と火星軌道を結ぶ双曲線遷移軌道上を、秒速約三十六キロメートルで慣性航行する巨大な宇宙船の姿がある。
 まだ就航して長くなく、太陽光を照り返して白銀色に光り輝く船殻には《ダイオスキュリア》と誇らしげに書かれている。それは古代ギリシャ人の植民都市ディオスクリアに因んでつけられたこの船の名前であり、その名の示す通り、この惑星間航行船は地球圏から火星圏へと移住する移民たちを大量に乗せた移民船なのだ。
 異様に膨れた頭部のような回転ブロックと、その前に連結される腕状の慣性ブロック、それらを前後に貫く格納庫と、船の後方にあって全長の半分を占める大出力の並列ロケットエンジンが成す全体のフォルムは、子供が遊ぶ独楽にも、過剰にデフォルメされたシュモクザメにも似ていなくもない。
 慣性ブロックの周囲には合計十二基の農業プラントが付随しており、ロケットエンジンの周囲には球状の推進剤タンクがずらりと取り囲むように並ぶ。ドッキングポートとスペースポートを兼ねる汎用ポートは格納庫の前方に四角い口を開けている。目撃する人間に漠然とした不安感を与えるこの船は、かつて戦時中に小規模移動要塞として設計・開発されていたもので、サイズこそ約十分の一程度であるものの、形状は先行して稼動していた移動要塞バルジに酷似している。
 全長約三五〇メートル、回転ブロックの直径約二〇〇メートル、重量一千百万トン、最大〇・三Gの加速性能を持つその移動要塞は、建造途中でホワイトファングに接収され、完成を見るよりも前に終戦を迎えて、建造される意義を失ったかに見えた。移動要塞は未完成のまま、地球圏に存在する他のあらゆる機動兵器が戦後そうなったように、廃棄解体され、新たな宇宙船やコロニーの資材へと転用されるはずだった。
 そこに救いの手を差し伸べたのは、地球圏統一国家で新しく成立した『テラフォーミング法』だった。恒常的な経済問題にあえぐコロニー群は、ホワイトファングが保有していることになっていたこの巨大な船を扱いあぐねており、費用をかけて鉄屑にするくらいならと、惑星間航行船に改造して統一国家に売却することを思いついたのだ。
 統一国家はこの提案を受け入れ、民間の航宙会社や造船企業など数社が合同で設立した新会社に格安で貸し出した。かくして移動要塞は装甲から砲台、内部のモビルスーツ整備施設や訓練設備に至るまで、あらゆる軍装をすべて取り外され、軍人のかわりに民間から雇用された船員を乗せ、地球圏と火星圏の間を往復する惑星間航行船の中でも最大の乗員数を誇る宇宙船に生まれ変わった。

 火星移民となる乗客約三千名、船員約五十名を乗せて、《ダイオスキュリア》は太陽と母なる地球に背を向け、粛々と火星へと順調に飛翔を続ける。
 だが、船の先の運命を予測できた人間は、この時点ではほとんど存在していなかった。

A.C.198年 1月10日 午前5時 旧ルクセンブルク地域時間

 太陽系全域で使用される宇宙標準時は、グリニッジ標準時に等しいと定められている。標準時と旧ルクセンブルク地域の時差は一時間、ブリュッセル郊外の公舎の一室で眠る彼女の腕に巻かれた腕時計は、示す時刻が午前五時を回ったところで、持ち主の覚醒を促すように細かに震えた。職場からの緊急着信を伝えるサインだ。
 目覚めた彼女は、横であどけない寝顔をさらして眠っている少女を起こさないように、そっと起き出した。寒さに息を白く染めながら廊下を通り、隣の書斎のドアを開けると、アンティークの机の上に置かれた通信装置のインジケータだけが暗闇の中に赤くかすかに瞬いて、自らが起動されるのを待っている。
 通信装置のスイッチを入れると、冷えたスクリーンの表にさっと結露が走り、ついで画面にややぼやけた女性の像を結んだ。
『おはよう、レディ。悪いわね、そちらはまだ夜明け前でしょう』
プリベンターの黒い制服に身を包んだ女性―――サリィ・ポォは口ではそう言ったが、自分の上司であり、同志であるレディ・アンの睡眠時間についてさほど気にかけている様子はない。サリィの背後には窓があって、明るい日差しが室内に射し込んできている。確か、彼女は今シンガポールにいるはずだった。季節のない宇宙での活動を主眼に置いているプリベンターの制服が暑そうに見える。
「緊急事態だな?」
対するレディは、就寝時のナイトローブ姿のままだ。よほど気を許した相手でもなければこういう姿は見せたくないが、案件は一分一秒の時間を争うのだ。
『あらあら。鉄の女の大いなる隙を見たような気がするわ』
サリィは彼女の格好を意外に思ったようだった。興味深いものを目撃したとばかりに相好を崩し、冗談めいたコメントを口にする。
「感想は結構。用件は」
『ええ、ごめんなさい』
短く謝ると、サリィは表情を引き締めて居住まいを正し、改めて口を開いた。
『コード三一一〇、リチャード・エリスンの事だけど、たった今、行方がわかったわ。彼は《ダイオスキュリア》に乗って火星に向かっている』
「何……」
レディの顔に険しい表情が浮かんだ。
『どこかで偽造の身元を入手して調査官をパスしたのね。でも発覚したのは最悪のところからよ。―――船内持込品の検査官が買収されていたの』
「過去を捨て去り、新しい身分で新天地を目指すだけなら、そんなことはしない」
『ええ、そうね』
サリィはうなずき、彼女の意見に同意を示した。
『彼は事件を起こす可能性が非常に高い。火星に着けば、爆発物の材料はまたいくらでも手に入る。持ち込み品をごまかす必要なんてない。恐らく、彼の選んだ舞台は《ダイオスキュリア》だわ』
レディは、今、移民船に乗っているはずのプリベンター隊員を反射的に思い浮かべた。やや伸びすぎた前髪の下に藍色の鋭い双眸を秘めた、小柄な青年の姿を。
「あれには調査員が搭乗している。確保させるか?」
脳裏に描かれた鮮明なイメージをもって、レディはサリィに意見を求めた。サリィも確実に同じ人物のことを考えているはずだ。
『それで済むならいいけど……』
意外にもサリィは口ごもり、
『聞いて。検査官を買収したのはエリスン本人や彼の支援者じゃないわ。少なくとも、彼との関連が直接見出せない人間ね』
「どういうことだ」
レディの性急な問いに、サリィは曖昧に首を振った。現地にいる彼女もまた、事象についてのすべての答えを把握している訳ではないのだ。
『結論はすぐには導けないけど……、分かることがひとつあるわ。彼を利用して、事を起こそうとしている組織があるってことよ』
「わかった」
レディは頷き、通信装置の前で姿勢を正した。この官舎の情報ネットワークには、厳重なセキュリティが設定されているが、機密事項をいつまでも扱うわけには行かない。今からすぐ、ブリュッセル市内にある情報部本部に赴き、そこで処理にあたる必要がある。
「引き続き情報を洗うように。次の報告を待っている」
レディに敬礼に、サリィがやや崩れた敬礼で応えた。
『了解。火星がきな臭い時に、嫌なニュースでごめんなさい』
そこで通信が切れ、画面が再び暗転する。
「お義母さま。ご出勤ですか?」
クローゼットを開いて制服を取り出そうとしたその時、背後のドアの向こうから眠たげな声が聞こえ、レディは後ろを振り返った。扉と壁の細く開いた隙間に愛しい少女の姿を見つけ、厳しさが覆っていた顔がふと綻ぶ。
「おはようございます、お義母さま。今日はずいぶんお早いのですね」
 結局、少女は目を覚ましてしまったらしい。それでもレディの仕事部屋に決して入ろうとしないのは、彼女の仕事の重要性と、例え家族のように親密な間柄であっても秘密を守らなければならない類の仕事であることを幼いながらに理解しているからだ。
「マリーメイア、おはよう。今日は急に早く行くことになった」
マリーメイア・クシュリナーダは、生き別れの実父を『イヴ・ウォーズ』で亡くし、翌年、自身を旗印に担ぎ出された『マリーメイアの叛乱』で後見人のデキム・バートンを喪った。彼女が今よりもずっと幼い頃に、母親はすでにこの世の人ではなくなっており、近しい人間のいなくなった彼女を引き取ったのは、彼女の実父トレーズ・クシュリナーダを心から敬愛していたレディ・アンだった。
 自らも叛乱事件のさなかに重傷を負い、一時は車椅子生活となったマリーメイアは、当初なかなかレディに懐こうとはしなかった。マリーメイアがトレーズの忘れ形見だからという理由で引き取った面が多分にあったレディも、最初は彼女との良好な関係をなかなか築くことができず、多忙な公務と、増えた家族との私生活の間で長らく両立に苦しんだ。
 しかし、最近ではそれも穏やかになりつつある。ブリュッセル郊外の緑に囲まれた家に、世間から忘れ去られることを願って慎ましやかに住まい、定期的に病院に通い、身辺に二十四時間身辺警護のつく暮らしは、決して自由で快適とはいえないだろうが、流れる時間の中でマリーメイアはレディをいつしか『お義母様』と呼び慕うようになり、レディは幼くして心と身体に多大なる傷を負った彼女のために、多くの時間を割くようになっていった。
「そうですか。今度は長くなりそうなのですか?」
まだ起き抜けで眠そうな目をこすりながら、マリーメイアは訊いた。
「さあ、どうだろう」
進行中の事態によっては、レディ・アンたちプリベンターの幹部は、解決の糸口が見つかるまで、あるいは解決まで情報部に詰めっぱなしになる。そうなれば何日も自宅に帰れないということは、サンクキングダム城立て篭もり事件など、これまでにも何度かあった。
「わたしにも、まだ分からない」
着替えを終えたレディは身をかがめてマリーメイアと目を合わせ、彼女の柔らかい紅茶色の髪を優しく撫でた。
「何もなかったら、いつもの時間に帰ってこよう。わたしの留守中に何かあったら、モーリンに頼るように。それから、今日は九時にはベトウド先生がいらっしゃる。昼間は心乱すことなく勉学に励め」
「はい、お義母様」
レディのたったひとりの愛しい娘は、年相応の笑顔でうなずいて、言った。
「かつてのわたしがしようとしたことよりも、お義母様の行いの方が、地球圏をより正しく平和にするでしょう。わたしも一日も早くそうなれるよう、今は学びに努めます」
「マリーメイア。火星圏もそれに加えてくれないか」
「はい?」
「……何でもない、忘れてくれ。では、行ってくる」
レディは立ち上がり、上着をさっと羽織ると、車の鍵と鞄を手に取った。
「行ってらっしゃいませ、お義母様」
マリーメイアは玄関先のポーチまで出て、レディの出勤を見送った。
 その後ろからSPのひとりがそっと歩み寄り、振り向いた彼女と二言三言和やかに会話を交わし、彼女の背に手を添えて、静かに家に戻って行った。

A.C.198年 1月10日 午前8時10分 宇宙標準時

 今日の《セントラル》は、朝食のピーク・タイムである午前七時台を過ぎても、なお盛況が続いていた。
 《ダイオスキュリア》が火星軌道に到達するまでの残り時間はすでに七十二時間を切っている。大きな展望窓のある《セントラル》からは、窓の外をゆっくりと巡っていく赤い星の姿が見られるため、いまや船内に並ぶもののない人気を博していて、通常の食事以外にも喫茶を楽しみに訪れる客が絶えない。いっそ、窓際の席を時間予約制にしてはどうかと、スタッフのひとりが冗談めかして言い出すほどだった。
 そういうスタッフたちも多くは職業訓練としてカフェテリアを選んだだけで、火星への移民という立場に変わりはない。生まれて初めて目にする火星の相貌が物珍しいのは彼らとて同じで、給仕の間に足を止めては窓の外の光景を眩しそうに見つめる姿が目立った。
 ヒイロ・ユイは、その興奮の渦と唯一無縁の存在だった。彼もまた、火星を間近に目撃するのは、十八年近い人生を送ってきた中で初めての経験だったが、日常どおりに業務を淡々とこなしていた。時計の針は午前八時一〇分。
 オペレーション・メテオの際の、地球大気圏に到達した瞬間の感慨を思い起こす。上層の薄い大気に触れた機体外殻からコクピットに伝わってくる振動や、地球の重力に囚われて身体中の血液が下がる感覚、正面モニタ一杯に広がる彩度豊かな青と煌く白のコントラストを想起するだけで、自然と脈拍が上昇するのだ。それと同じように、火星に着く瞬間も、きっと自分にとっては任務と任務の狭間での印象深い記憶となることだろう。その刹那のことを思えば、浮かれる移民たちを前にして平静を保つことは、ヒイロにとってさほど困難な挑戦ではなかった。
「あっ」
一瞬気が抜けていたところに、何か柔らかいものが全力でぶつかってきて、短い叫び声を上げた。何事かと視線を落とすと、ほんの三、四歳、生意気盛りといった風情の子どもがころんと床にひっくり返っていた。前をろくに見もせず走っていて、たまたま行く手にいたヒイロに衝突しただけで、特にどこを怪我したわけでもなさそうだ。
 ヒイロは、子どもを助け起こすためにトレイとオーダー端末を小脇に抱えると、手を延ばして子どもの腕を掴んだ。
 が、その力が強すぎたのか、それとも長めの前髪から覗くヒイロの暗い青の瞳が思いの他恐かったのか、
「わあああああん、おかあさんー」
何故か子どもは火がついたかのように激しく泣き出した。ばたばたとアンバランスな足音を立てて、青いフロア・カーペットの上を母親らしき女性が座っている席へと走り去っていく。
「…………」
またやってしまった。
 ヒイロは、半泣きになりながら逃げていく子どもの姿を暗澹たる気分で見送った。子どもの行動はいつも彼の予想以上に唐突で、謝る隙さえ彼に与えてくれない。
 これで今日は三回目だ。一日の最高記録はこれまで四回だったから、あと一度逃げられたらタイ記録である。自分が一体何をしたというのだ。たまたま目が合ったので、マニュアルに則って挨拶しただけだというのに、どこがいけなかったのか。
 移民船ダイオスキュリア号は、戦艦や巨大客船がそうであるように、数千人の乗客が長距離の真空の海を渡る旅を快適に過ごせるよう、あるいは職業訓練の一環として、さまざまな商業施設を備えている。もちろん、就学児童や学生のための船内学校も開かれているが、学校への潜入を半ば趣味としている(と、周囲のガンダムパイロットたちには評価されている)彼は、今回に限っては学校を選ばず、商業施設での職業訓練を選んだ。
 それが、この船内カフェテリア《セントラル》でのウェイター係だった。そうした理由はれっきと彼の中に存在していたのだが、できあがった労働人ヒイロとしての格好は、彼を知る者たちからすれば滑稽極まりないものになっていた。
 まず、制服が似合わない。白と薄青の細いストライプのシャツに黒のスラックス、そして店内インテリアのキーカラーであるロイヤルブルーのギャルソンエプロン。何よりその制服に、年齢の割に小柄な体格と仏頂面の無表情はミスマッチに過ぎる。かといって無理やりの笑顔は不自然極まりない。ウェイターどころか、店の若過ぎる用心棒といった雰囲気を醸し出してしまっている。ファミリー向けに明るくしつらえられた店内で、彼の周囲だけは明らかに暗い靄に閉ざされているように見えてしまっている。
 事実、大抵の大人はなんとなくヒイロを避けて通り、子どもは興味深そうに近寄ってきて、何か用かと話し掛ければ踵を返して逃げ去ってしまう。唯一、彼に興味があるらしい同じ年頃の女子たちだけは、遠くから彼を見守っては、その一挙手一投足に一喜一憂しているようだったが、彼にとってはどうでもよかった。
 このような状態であるからには、常ならばすぐ馘になりそうなものだが、職業訓練の名目と、少なくとも業務マニュアルを四角四面に守っていることだけは間違いないので、彼はこの職場を辞めさせられずに済んでいるのだった。
 彼がこのカフェテリアを職場に選んだのには、先述したように訳がある。二十四時間営業の《セントラル》はその名の通り、巨大な移民船の客室区画と船員区画の間にあり、ほとんどの人間が食事時にはここを利用している。つまり、この店で働いていれば、移民と乗組員のほぼ全員の顔を覚えられるばかりか、彼らの交換する情報や彼らの生活パターンまである程度把握することができるのだ。情報収集にはうってつけである。
 傍目には緊張感あふれる勤務態度としか受け取られないが、彼にとっては敵陣での偵察活動そのものである。真剣にならないわけがなく、かくして彼のまとう空気はますます重くなる。
「……ちょっと、君?」
フロアの中央で憮然と立ち竦んでいたヒイロは、トレイの端でちょんちょんと二の腕をつつかれて我に返る。無言で振り返ると、同僚のウェイトレスが気遣わしげな表情でそこにいた。後ろで束ねた漆のように黒いストレートの髪は白いヘッドドレスのコントラストは清冽で、健康的な濃褐色の肌はヒイロと違って制服によく似合っている。名前は確か、エファトラ・ノースブリッジといったはずだ。彼女とはシフトがよく被るので覚えた。
 彼女は細い身体を逸らすようにして腰に手を当て、ヒイロよりも十センチ以上高い目線から彼を見下ろして、宥めるような口調で言った。
「また子ども泣かせちゃったのね」
「…………」
ヒイロは沈黙をもって肯定したつもりだったが、エファトラはそれを否定の意味に受け取ったようで、やれやれと左右に首を振った。
「早く謝りに行きなさいよ、オーダーは私が通しておくから」
彼女はヒイロの手からオーダー端末をさっと取り上げると、トレイに載せてさっさと厨房に入っていってしまった。彼女が去った後に、ヒイロは再びフロアに一人取り残される。
 ふと子どもが走っていったテーブルを見やると、その子どもの親らしき女性が、怒りを顕わに早足で歩み寄ってくるところだった。
 ヒイロは一気に気分が重くなった。銃を持った複数の兵士に丸腰で立ち向かったときでさえ、こんなに絶望的な気持ちにはならなかったはずだ。

A.C.198年 1月10日 午前8時13分 宇宙標準時

 多忙な業務の合間、《セントラル》で食事を摂っていたカトル・ラバーバ・ウィナーは、皿に盛り付けられたローストチキン・クラブサンドの下から、薄い紙片がほんの少し顔を覗かせていることに気づいた。ちょうどその真上の、レタスと一緒にスモークチキンの薄切りやトマトと玉葱の輪切りを挟んだピースを取ろうとしていた手を一瞬止めて、紙片を観察する。
 紙片には何か書きつけてあるらしく、水分や油が染み始めた紙の表面には裏向きの文字がわずかに浮き上がっている。相当筆圧の高い人間が書いたのだろう。彼は素早く周囲を警戒し、人目が自分に向いていないことを確認してから、紙片ごとサンドイッチを取り上げた。幸い、ここには行儀の悪さを指摘する執事も、いつも第一の侍従のように振舞って憚らないラシード・クラマもいない。
 手に取ったところで親指をずらすと、紙片はひらりと膝の上に舞い落ちた。
 紙片にはやはり、走り書きがあった。

『心せよ 多くを救うも失うもお前次第』

 視線の端でちらりとヒイロの方を見やる。ウェイター姿の恐ろしく似合わない黒髪の青年は、さっきから子ども連れらしき女性に延々と苦情を述べ立てられ、すっかりたじろいでしまっている。顔は無表情でありながらも微妙に腰が引けていて、ヒイロのことを知るカトルには彼の内心が想像できて、ついくすりと笑みをこぼしてしまいそうになる。
 同じ移民船に同じ乗客として乗り込んでいるにも関わらず、この一ヶ月というもの、彼らは正面きって顔を合わせることはまったくなく、互いの日常を過ごしていた。それは今や正式にウィナー家を代表するひとりとして公に活動するカトルと、表向きの身分は一介の若き労働者に過ぎないヒイロ―――ここではアディン・ロウ・ジュニアと名乗っているらしい―――の二人の間には、同じ年齢であるということ以外には、一見何の関係性も見出すことができないからであり、接点を持てば却って彼らの経歴を不審に思われる可能性があるからだ。その没交渉性は、よほどの緊急事態が起きない限り、移民船に乗っている間も、火星圏に到達してからも継続されるはずだ。
 そして紙片上の筆跡は、ヒイロのものではない。
 では、誰が? ヒイロでないとすれば、この奇妙な、警告とも忠告とも取れるメッセージを送りつけてきたのは何者なのか?
 何気ない振りをしてそれをポケットに押し込み、彼は表面上、悠々と気楽な食事を続けた。メモのことをあれこれ考えるのは食べながらでもできるが、まだ湯気を立てているクラブサンドを楽しめるのはほんの数分間だけだからだ。
 《セントラル》は一般市民が日常的に利用するための店で、食材は出航時に積載されたものや、船内の農工業プラントで生産・加工されたものを使っている。高級レストラン並みのメニューや味が期待できるわけではないが、カトルはこの店を気に入っていた。この店の区画には大きな偏光ガラス板が窓に使われていて、自分たちが今向かっている新しい土地―――火星が、他のどこの施設よりも一番よく展望できるからだ。
(美しい星だな)
クラブサンドを食べ終えて、紅茶が運ばれてくるまでの間、カトルは行儀悪く頬杖をついて窓の外を眺めた。今や太陽の次に明るく輝く火星が、赤い光を放ちながらゆっくりと反時計回りに巡る。こうしている間にも、船は時速十三万キロメートルという猛烈な速度で火星に向かっているのだが、レストランの窓際でのんびりしている限り、とてもそんな風には思えない。
「赤い大地か……、こんな所にだって人類は来ることができるんだ……」
(なのに……)
「あー、君。相席しても構わないかな?」
窓の外を見ていたカトルが、そう声をかけられて顔を向けると、テーブルを挟んで正面に、眼鏡をかけた中年の男と赤毛の若い女の二人連れが腰を下ろそうとしているところだった。
「お勧めランチを二つ。それと僕は食前にクランベリー・ジュースね」
二人とも、シャツにジーンズ、ちょっとした手荷物といったラフな服装だが、男の方は、さほど歳を取っているように見えないにも関わらず、すでに目元に笑い皺を刻んでおり、若干小太りな体格もあって軟弱そうな印象を覚える。女性は長い赤毛を後ろで束ね、身体にぴったりしたTシャツを着て、肩からショルダーバッグを下げている。彼女はきつい目つきでカトルを見下ろしており、男とは対照的に、どことなく寡黙で職人的な雰囲気を醸し出している。
「どうぞ、構いませんよ」
案内してきた若いウェイトレスが「混雑していて、申し訳ありません」と一礼して去っていくのを見送ると、彼は興味深そうにカトルの顔を覗き込んで、言った。
「ミスター・カトル・ラバーバ・ウィナー?」
フルネームを言い当てられては、彼には逃げ場がない。
「そうですが……あなたは?」
「ああ、こりゃ失敬」
男は嬉しそうに何度も頷き、懐からサインカードを取り出してカトルの前に差し出した。
「ダグラス・ネーン、フリーでジャーナリスト兼レポーターをやってます。こっちはグラーニャ・オブライエン、カメラを担当してます。火星移民のドキュメンタリーを撮るんでこの船に乗ってんですが、……いやあ、遠くから見かけた時にはもしやと思ったけど、まさか本当に乗船していたとは」
レポーターと自己紹介するだけのことはある。立て板に水を流したかのような、まったく淀みのない話し振りと、妙にアクセントのついた大げさな口調に、カトルはつい感心する。
「取材なら断ります。今は余暇なので」
「いやいやいや、わかってますともその辺は、ね」
ダグラスと名乗った男は顔の前で手を振って、勝手にひとり話を続ける。
「スキャンダルネタを探してるとか、僕はそんなつもりで声をかけたわけじゃないですよ。単に相席になった記念ってだけです。まあ、いつかウィナー財閥のトップとしてお話を伺う機会があるかもしれませんが」
「そうですか」
カトルは曖昧に相槌を打った。相手の目的は何だろう? ただ単に人脈を広めるためだろうか? 他に何か、自分に近づく理由があるのだろうか?
「ミスター・ウィナー、あなたは何故火星に?」
さっき取材はしないって言ったばかりじゃないか。矢継ぎ早に繰り出される言葉の量に早くもうんざりし始めながら、カトルはもっとも安直な回答を口にした。
「ビジネスです。ウィナーはMSDCのプロジェクトに出資していますから、現状視察に僕が行くことになりました」
「ほう、なるほどビジネスですか」
ダグラスはいちいち大きく肯いた。その横でグラーニャはずっと押し黙ってカトルを見つめている。それは会話している相手を注視しているというより、カメラに入れる構図をひたすら思案しているような目つきだ。
「かつて推進技術が未熟だった時代、火星へは一度行けば最低でも二年は帰ってこられなかったと言いますね。そんな昔にはとてもなかった理由だ」
「ピースミリオン級戦艦に搭載されていたという、核推進パルスエンジンの技術が民間にも公開されたおかげでしょう。この船も同じエンジンを積んでいますしね。つい数年前まで、コロニーと地球の間さえほとんど断絶状態にあったのが、嘘のように思います」
「ほう、詳しいですね。お若いのに」
「残念ながら、付け焼刃です」
カトルは嘘をつき、
「そうだ、さっきネーンさんは移民のドキュメンタリーを作ってるって仰いましたよね。どんな作品になるのですか?」
と訊ねて、故意に話題をずらして水を向ける。ただの世間話でさえこんなに多弁なのだから、彼の得意分野の話ともなれば、きっと生き生きと話をしてくれることだろう。マスコミュニケーションについて多くを知らない自分が学ぶ良い機会にもなる。
 そう踏んで話を振ったのだが、予想とは裏腹に、問われたダグラスの表情が沈んだ。
「被写体は主に俺自身なんですよ、これが」
「え?」
「乗客インタビュー取ったり、船内レポートもやりますがね。メインストーリーはこう。十年前に火星に旅立ったきり、便りの一本も寄越さない弟を捜して、兄が移民船に乗り込んで会いに行く。果たして弟は無事で過ごしているのか? 感動の再会はあるのか?」
ダグラスはわざとらしく大きく両手を広げて、おどける仕草をした。
「……ってわけです。つまらないでしょう」
「いえ、そんなことないです!」
カトルはつい大きな声で言ってから、即座に後悔した。周囲の人々が何事かと一斉に振り返り、彼らの席に注目したからだ。ようやく苦情から解放されたらしいヒイロにもそれは聞こえていたらしく、フロアの向こうから一瞬だけこちらを窺い見て、すぐに視線を逸らしたのが見えた。
「弟さんを捜していらっしゃるんですか。見つかるといいですね」
心の底からカトルは言った。ついこの間まで続いていた長い戦乱の時代にあって、肉親との死別や、生きながらも別れ別れになる悲劇は、どこにでも見られるごくありふれた光景に過ぎない。しかしそんな悲しい時代が過ぎた今、そういった出来事を取り上げて語り継ぎ、後世への教訓として残していくべきなのだ。
「こればっかりは事前にストーリーは作れませんからね。どうなるかはお楽しみですよ」
茶化すように言って、中年男はウェイトレスが運んできた氷入りのクランベリー・ジュースを受け取ると、ストローも刺さずにグラスの縁に口をつけて一気に飲み干した。まるでビールでも呷るかのような見事な飲みっぷりだ。
「くーっ、美味いねえ」
 それを見たグラーニャは、わずかに眉をひそめて顔を俯かせた。彼女がカトルの前に現れて席についてから初めて見せた、反応らしき反応だ。
「私は嫌いだ。血みたいで」
低く呟かれたグラーニャの声に、ダグラスは彼女を宥めるように言った。
「いいじゃないか、好物なんだから大目にみてくれよ」
「その色を見ると、嫌なことがまた起きるんじゃないかって思うんだ」
そう彼女が言った途端、

 平穏そのものであるはずのカフェテリアに、一発の銃声が鳴り響いた。

A.C.198年 1月10日 午前8時25分 宇宙標準時

 その時、ヒイロは《セントラル》の入り口から見てちょうど柱の反対側にいて、何が起きようとしたのか、今進行形で何が起きているのかを把握するのが遅れた。突然ありえないはずの銃声が店内に響き、何か重いものがどさりと床に倒れ込む音が聞こえた。
(銃声!)
聞くや否や、ヒイロはほとんど反射的に柱の影に回り込んで自らの遮蔽を確保して、素早く周囲を見回して音源の位置を探ろうとした。しかしそれとほぼ時を同じくしてフロアのあちこちから悲鳴や怒号が、椅子を蹴立てる音、人々が散り散りになって一斉に走り出そうとする乱れた足音、ぶつかって盛大に揺れたテーブルから食器が転がり落ちて砕ける音があたりの音場を埋め尽くした。
「撃たれた!」
「人が撃たれた!」
やがて空調の生み出す微風に乗って流れてくる硝煙の臭い。
「う、ううう、動くなあっ!」
混乱の渦の中心から、裏返ってほとんど絶叫のようになった怒鳴り声が上がる。柱の影から様子を窺うと、ひとりの気弱そうな青年―――二十代後半から三十代前半に見える―――が、威嚇のつもりか、震える手で握り締めた拳銃をむやみやたらと振り回している。
 彼の前には、年配の女性がひとり倒れている。彼女の身体の下から青いフロアカーペットにじわじわと血が滲み出し、黒い染みを作り始めていた。
「この船には、爆弾を仕掛けた! 一撃で船が吹っ飛ぶほどの量をだ! どうだ貴様ら、火星に着く前にデブリになりたくなかったら、今後は俺の要求に従え!」
(爆弾だと……)
記憶力には自信があるつもりだが、この男の顔は、ヒイロのここ二ヶ月の記憶の中には存在しない。恐らくは人目を避けるため、公共設備にはほとんど姿を見せず、自室に潜伏していたのだろう。
「その、よ、要求とは……?」
ヒイロにとって聞き慣れた声が聞こえた。《セントラル》のマネージャを務める、壮年から老年に差し掛かった年頃の男性だ。フロアスタッフの中で一人だけ白いシャツに黒いバーテンダーベストを着て、いつも毅然としている。今もその凛とした印象は変わらないが、声は明らかに動揺してかすかに震えていた。
「ここにカトル・ラバーバ・ウィナーというガキがいるはずだ」
興奮のあまり、赤を通り越して青白くなった顔で、爆弾男は割れた声を張り上げた。
「僕……!?」
 それを耳にしたカトルの顔色がさっと変わる。彼は銃声を耳にした瞬間、咄嗟にテーブルの下に身を伏せていた。ダグラスとグラーニャも彼に倣ってテーブルの下に潜り込んでおり、彼らはテーブルクロスの中で互いに顔を見合わせた。
「ウィナー財閥の御曹司だ! そいつを出してもらおう。さもなければ、爆弾でここを吹っ飛ばす。それとも撃たれて死にたいか。好きに選べ!」
店内の隅に固まっていた客たちは不安そうにあたりを見回した。そんな重要人物が、この庶民的な店のどこにいるのか。自分たちがさらなる危機に見舞われる前に、彼が自らこの男の前に進み出てきてくれないものかと。
「有名人だねえ、君」
もはや敬語もなく軽口を叩くダグラスに、カトルは苦々しい顔で頷いた。地球圏にいた頃も、彼をターゲットとするテロ行為には、未遂も含めて何度も遭遇している。グラーニャはひたすらに無言だが、よく見れば顔色が明らかに悪く、こめかみのあたりに冷たい汗をかいている。
 ふらふらと宙を彷徨う拳銃の銃口が向くたびに、向けられた客が「ひっ」と息を飲む。凍りついた場内で、落ち着いたインストゥルメンタル音楽だけが空虚に流れている。
「ここに入ってったのはわかってるんだ。さあ! とっとと出しな。あるいは自分で出てくるか。早く!」
口角泡を飛ばしながら、男がわめく。
「今だ!」
その背後から誰か―――恐らくは格闘技か、軍隊の経験者だろう―――がいつの間にか忍び寄っていた。不意打ちを受けてはかわせないであろう、ぎりぎりの距離からタックルをかけ、拳銃を取り上げようとする。
「うおおおおおっ!」
あと数歩という至近からのタックル攻撃を、爆弾男は横へ飛び退る勢いでかわした。人間とはにわかに信じがたい反射神経だが、それだけで体勢を崩さずにいることはさすがにできず、たたらを踏んでようやく持ち堪えた。回避されたと悟った相手は、格闘戦に持ち込もうとバランスを崩しかけた自らの体勢を無理矢理引き戻そうとしたが、それはついに叶うことはなかった。
 彼の身体に触れたか触れないかのうちに、鈍い爆音とともに《セントラル》が揺れ、爆弾男を捕らえようとした勇気ある者の足元を掬ったからだ。地震のような不気味な揺れに、逃げ遅れた人々の間から再び悲鳴が上がる。船のどこかで爆発でも起きたのだろうか?
「俺に触るな!」
男はヒステリックに叫んで、手の中に握り込んでいた細長い金属製の棒のようなものを床に捨て、転倒した男に向けて容赦なく拳銃のトリガを引いた。
 乾いた発射音が、異様に静まり返った室内に大音響で鳴り響き、二人目の犠牲者が床に崩れ落ちる。その横に男が捨てた棒状の物体が澄んだ金属音を立てて転がった。ボタンスイッチと市販の無線装置を組み合わせただけの簡素な代物で、おそらくはそれがたった今爆発した爆弾の遠隔起爆スイッチなのだろう。
「俺に手を出せばどうなるか、わかったか! 次は脅しじゃない」
男はもうひとつ、遠隔爆破スイッチとおぼしき装置をジャケットの内ポケットから取り出し、拳銃と反対の手に握って、彼を取り囲む人々の前にかざすように見せびらかした。よく見れば、彼の身につけているジャケットのポケットはまだ膨らんでいる。起爆装置や他の武器の類が他にも大量に詰め込まれているのかもしれない。
「止めて下さい!」
カトルはとうとう辛抱できなくなって、ダグラスの制止を振り切ってテーブルの下から這い出した。彼の透る声に、場内の誰もが彼に一斉に視線を注ぐ。
「何が目的か知りませんが、僕を誘い出すために他の人を傷つけるのは止めて下さい」
両手を挙げながら、膝立ちの姿勢からそろそろと立ち上がる。
「お……お前か」
男はカトルに銃口を向けた。何とか震えを止めようとしているのか、銃把を握る手に力がこもり過ぎて、指が白くなっている。全身から汗が噴き出して髪や服を容赦なく濡らしており、不自然なほど呼吸が荒い。単なる興奮としては明らかに不自然で、もしかしたら投薬もしているのかもしれない、とヒイロは推測する。そうだとすれば、先ほど見せた異常な反射神経にも説明がつくというものだ。
「僕がカトル・ラバーバ・ウィナーです。僕を人質にするつもりですか」
「そ、そうだ」
場にそぐわない、あまりにも落ち着いたカトルの問いかけに、男は裏返った声で応じた。
「だが、お前はVIP待遇なだけだ。人質は、この移民船に乗っている、全員、だ」
「何のために?」
両手を下ろさないまま、カトルは男を刺激しないよう、一歩ずつ前へ進み出ていく。彼が足を踏み出すごとに人垣が割れ、彼の前に道が開ける。
 撃たれ、他の客たちに介抱を受けている二人の側を横切って、カトルは爆弾男から人々を庇うように毅然と立ちはだかった。自分ひとりのために彼らが傷つき、大勢の人々が恐怖にさらされていることを感じ、どうしようもなく胸が痛む。緊張のあまりに動悸が止まらず、膝が震え、首筋には嫌な汗をかいている。それでも、自分のような立場の人間は、危機に瀕しても冷静さを失ってはならない。あるいは、冷静でないことを見破られてはならないのだ。そう、子どもの頃から教わってきた。
「もう一度聞きましょう。何のためです?」
「か、火星の、」
いよいよ呂律さえ回らなくなり始めた男は、目の前にすっくと立って自分を見つめるカトルの視線に恐怖したのか、一瞬たじろいで、それから、
「地球圏の搾取から火星圏を救い、独立と平和を勝ち取るためだ!」
と叫んだ。
(独立と平和……)
カトルとヒイロは同時に愕然とした。それと同じ言葉をスローガンに、かつて二人はガンダムを駆って地球に降り立ち、戦火を放ったのだ。それを、今になって別の人間から語られるとは!
「わかりました」
内心の動揺を押し隠して、カトルはつとめて平静を装い、言った。
「その代わり、ここの皆に危害を加えるようなことは止めて下さい。そうでないと、僕も黙ってはいません」
「……来い!」
爆弾男はスイッチを再びポケットに押し込むと、空いた側の腕でカトルを強引に抱き込み、側頭部に銃口を押し当てた。遠目に見た身なりもあまり清潔ではなかったが、顔にかかる吐く息はかすかに薬品の匂いがした。弾丸を発したばかりの銃口はまだ熱を持っていて、押し当てられた場所からは髪の焦げる匂いが、軽い火傷を負ったのだろう。頭の皮膚には突き刺さるような痛みが走る。
「あとはこ、ここで待機だ! 全てが終わるまで、震えて過ごせ!」
レストランの扉が乱暴に開かれ、男がカトルの身柄を拘束して出て行くのと入れ替わるように、複数の人間が店内になだれ込んできた。みな一様にゲリラ風の服装をしており、自動小銃やその他の戦闘装備を携帯している。
 その中のひとり、リーダーらしき服装と態度の男が、店内をぐるりと見回すと、声も高らかに宣言した。
「この《ダイオスキュリア》は、我々地球圏統一連合軍火星大隊、およびOZスペシャルズ火星中隊が占拠した! ここは地球圏統一国家のフロンティア、我々はこの領域侵犯を以って、地球圏統一国家への宣戦布告を宣言する!」
誇らしげなその宣言を、カトルは背中で聞いた。
(火星は、まだ、遠いのかな……?)
 窓の外には、変わらず赤い光が煌いている。
 だがその光の意味は、いまや大きく変容しようとしていた。

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