Seabird / Trail - The Later Part

Chapter 5

 ヒイロは作業用モビルスーツが消えていった海面をじっと眺めていた。しばらくそうしていたかったが、船が動き出して遠ざかっていき、どこがその場所であったかもわからなくなって、じきにやめてしまった。
 見守っていたところで、何か自分にできることがあるわけでもない。
 正直なところ、モビルスーツの攻撃に作業船一隻が対抗できるような手段など、皆無に等しい。自分たちがかつてガンダムで思うままに戦艦を蹂躙したように、遠距離から大口径の掃射を浴びせられれば、装甲のない一般船舶などいとも簡単に沈んでしまうだろう。
 作業用モビルスーツも戦闘用に相対するには無力だ。デュオの操縦の技量があれば多少の攻撃はしのげるだろうが、魚雷などの攻撃に対抗するには機動力が貧弱だ。唯一装甲の厚さだけは期待できるが、それだけである。
 数時間は何も起こらないまま、のろのろと海上の時間は過ぎていった。出来事といえば、海鳥の群れが船の近くで波間をすくうように長い間舞い続けたこと、それを見た乗組員の連中が釣り竿とバケツを持ち出して魚釣りを始めたことくらいだ。緊張感のないことおびただしく、なるほど暢気者の周りには暢気者が集まるのかと、ヒイロは妙に感心した。
 当のヒイロはインスタントコーヒーの一杯すら口にせず、揺れる甲板に立ってずっと西の方角を見ていた。ブリッジでもレーダーで付近の警戒はしているはずだが、ヒイロは聴覚を鍛えている。かすかなエンジン音を耳にするだけで、航空機の種別や所属を正しく聞き分けることができる。
 ブリッジがにわかに慌しくなり、それとほぼ同時にちょっと聞いただけでは低い風の唸りにしか聞こえないような駆動音をヒイロが聞きつけたのは、太陽がかなり西に傾いた頃だった。
 ただし、ヒイロが予想していたような、航空機のジェットエンジンの音ではない。方角も西ではなく、北からだ。高速で飛翔するための独特のフォルムは、ヒイロが何度も戦った、よく知っている機種のものだ。
「……エアリーズ!」
モビルスーツ特有の無反動スラスタが生み出す音は、航空機のそれとはまったく違うのですぐにわかる。しかも音自体が比較的小さく、航空機よりも近づかないとその存在には気づけない。
 二機のエアリーズは波間を縫うようにして低く飛び、みるみるうちにサルベージ船に接近してくる。
 ヒイロはオペレーション・メテオの際に叩き込まれたエアリーズのスペックを思い出した。確かあの機体は、実体弾チェーンライフルとミサイルポッドの二パターンの装備を選択できたはずだが、いまや目前にまで迫っている二機にはそれがない。かわりにリーオーがよく装備するショーティ・ビームライフルを携えている。おそらく、本体と武装をセットで入手できなかったのだろう。
「避難しろっ!」
ヒイロは大声で叫んだが、思ったよりも船員たちは動揺していなかった。そのことは予想済みであったというように、ヒイロの指示よりも早くそれぞれの持ち場に駆け戻っていく。
 直後に、閃光がほとばしった。
 次いで高温に熱せられた大気が爆発的に膨張し、落雷のような轟音が響く。
 エアリーズがそれぞれにライフルを威嚇射撃したのだ。左右斜めを射線で封じられては、船の動ける方向は限られる。たちまちのうちに船は行き場を失った。
 ヒイロは船内に飛び込み、ブリッジを目指して狭くて揺れる廊下を駆けた。階段を跳ねるように駆け上がり、扉を乱暴に開け放って、その勢いに目を丸くするブリッジクルーたちをよそに、空いている通信士席をひとつ奪い陣取った。
 デュオに渡していたディスクのコピーをスロットに叩き込み、ノインが搭乗している輸送機のコクピットとの間に暗号化通信回路を開く。
『ヒイロか』
即座に開いた通信画面の向こうから、ノインが言う。ヒイロから通信が入ったというそのことだけで、すでに状況を察しているらしく、彼に無駄な説明を求めようとはしない。
「ノイン、今どこにいる」
ヒイロの問いに、ノインは輸送機の現在位置を伝える。
『大西洋海上、カラカスから東五百キロだ。遅かったか……』
「仕方がない」
目を伏せるノインに対して、ヒイロはまるで他人事のように慰めの言葉を口にする。今ここでプリベンターを責めたところで、状況が好転するわけではない。正確に現状を把握し、すぐに打てる手を考えることが最優先だ。
「ブリスベンで盗難されたのはキャンサーとリーオーだったな」
他人の後悔につきあっている暇はないと言わんばかりにヒイロは言った。
『そうだ』
「エアリーズしかいないということは、あり得ないな?」
『エアリーズが?』
そんな情報はない、と言いかけてノインは口をつぐんだ。情報がないからといって、存在までもないとは限らない。未完成の組織とはいえ、プリベンターの諜報力はまだまだだと痛感する。
「船が攻撃を受けている。キャンサーとリーオーは確認できていない」
『ヒイロ、それはおそらく陽動隊だ。水中部隊が別にいるはず』
エアリーズは飛行能力はあるものの、航続距離はさほど長くない。ということは、さほど遠くない場所に発進ベースがあると考えて間違いない。それに、この広い海域で複数のテロ組織が同時に活動する確率は高くない。
「ソナー、レーザ、ともに近距離水中にモビルスーツの機影、発見できません」
ヒイロの近くにいたクルーが報告を上げる声がブリッジに響く。
「ステルスか……」
ステルスを使われると、民間船のレーダー精度では捕捉はほぼ不可能になる。
「エアリーズはおそらく牽制だ。どの程度の攻撃を加えてくるつもりか知らないが……」
『ああ、海中との分断を意図していることは間違いない』
(だが、奴らはタイミングを誤った。この船が非武装だということも知らない)
口には出さずに心中つぶやきながらも、ヒイロはうなずいた。
 その時、深海にいるはずのデュオたちと通信を試みていた通信士が、突如大声を出した。
「海中にいる作業班の奴らに連絡がつかない!」
思わずヒイロは通信画面から目を離し、通信士の方を見た。
「応答信号がなくなった! ブイアンテナが破壊されたか、断線したらしい」
「よくあることだ、落ち着け! 他の通信手段は!」
通信長の指示に、通信士はいくつもモードを切り替えて、短い呼びかけを繰り返した。だがいずれも通信範囲外なのだろう、応答もなくホワイトノイズだけが空しく響く。
「極超長波、レーザ、いずれも応答なし!」
「聞いての通りだ」
向き直り、ヒイロは半ば覚悟を固めた表情で言った。
「下と連絡がつかない。『あれ』は深海で動けるか?」
『少々、無理がある』
ヒイロの考えるところを察しながらも、ノインは首を振った。彼女がヒイロたちを助けたいと思ったように、ヒイロもまた仲間を助けたいのだ。
『残念だが無理だ。コクピットは持ちこたえるだろうが、機体は水深五百まで動けばいいところだろう。もっとも、それはリーオーも同じだが』
「そうか……」
また閃光が走った。すさまじい音と揺れに窓の外を見ると、エアリーズが船を遠巻きにして上空を旋回しているのがちらりと見えた。
『ヒイロ、わたしは間に合わないが、機体だけを先に届けよう』
マイクを通じてその音が聞こえたのだろう、しばらく迷う表情を見せていたノインが、言った。
「できるのか?」
予想外の提案を受け、ヒイロは驚きを隠し切れずにそう訊ねる。
『あれには、航空機から単機大気圏離脱するためのオプション装備を持ってきている』
ノインは早口に説明する。
『それを使えば、弾道飛行で短時間でそちらに飛ばすことができる。計算は……今、出した。発射準備を含めて到着予想は約十五分後』
「十五分稼げばいいんだな」
『問題はある、命中精度が悪いのだ。GPSの精度を下げていることもあり、コースの補正ができない。予想地点から数百メートル、あるいは数キロ内に落下する確率が、およそ六割から七割』
「充分だ。こちらから回収に向かう」
『では、すぐに準備させる』
彼の力強い答えを受けて、ノインはうなずいたが、しかしすぐにまた憂いを浮かべる。
『本当なら、これだけはしたくなかったのだ。万が一敵に奪われては、回収ミッションそのものが水泡に帰すどころか、事態はもっと悪化する』
「だが、そうはさせない」
ヒイロは言い放ち、一方的に通信を打ち切って再びブリッジの外へと駆け出そうとした。
 その時、背後から声がかかる。
「おい、元ガンダムのパイロット!」
ヒイロを呼び止めたのは、ブリッジの後方で操船指揮を執っていた船長だった。呼び止められたヒイロが訝しげな表情を見せると、彼は大股で歩み寄ってきて、何かをヒイロに差し出した。
 それは通信機だった。
「今、クレーンにクルーを張り付かせている。格納庫も開放する」
その一言だけで、ヒイロには何をすべきかがわかった。また、船長たちの考える状況を利用すれば、別のことができることも思いつく。
ヒイロは黙ってうなずき、通信機を受け取るとすぐさまブリッジを飛び出し、階段を下りる手間を惜しんで突き当たりの回廊から甲板へと飛び降りた。

Chapter 6

 今日はついている、とデュオは思った。
 なぜなら、目当てを一発目の潜水で見つけることができたからだ。こんなことは多くない。付近の地形も海流も比較的単純なため、さほど予想地点から外れていなかったから、一定の範囲内をローラー作戦で探索するだけで発見できたのだ。
 一見、かつてモビルスーツだったとは思えないほどにそれは装甲が黒く焼けただれ、装甲のない関節部でちぎれ飛んだのだろうか、腕も脚もすべて失い、残された胴体も踏み潰された缶のように水圧に潰れてすっかり小さくなっていたが、デュオが作業用モビルスーツを近づかせると、わずかに無線機が反応を示した。減衰がひどく数メートルと届かないが、今でもトールギスの通信システムは生きていて、緊急信号を発信し続けているのだ。
 ヒイロを介してプリベンターから受け取ったディスクで復号をかけると、信号の中に『CODE OZ‐00MS [TALLGEESE]』の文字列が浮かび上がった。間違いない、これはトールギスだ。
 やった! とばかりにひとりガッツポーズを作り、発見の報せを相棒と母船に入れようとしたとき、彼は異常に気づいた。トールギスの微弱な信号に気を取られて見過ごしていたが、母船から定期的に受信しているはずの応答信号が消失している。
 上部にライトを向けてカメラを確認すると、ブイアンテナまで一定のテンションを保って延びているはずのケーブルが、わずかにたわんできているのが見えた。
「ケーブルが切られた!?」
ケーブルが切れるのは、実はよくあることだ。ブイアンテナが不調を起こすこともある。しかし、今日この日にこのタイミングで不具合が起きるとしたら、事故よりも何者かの意図である確率の方がはるかに高い。
『デュオ、緊急事態だ』
数十メートル離れて別エリアを捜索していた一号機のパイロットが通信を入れてきた。
『船と通信できなくなってるぞ』
「実はこっちもだ」
トールギスにさらに一歩近づきながら、デュオは言った。
「どうやら、敵さんがおいでなすってるみたいだな」
事態が逼迫していることを知りつつも、彼の口調はどこか緊張感が欠け落ちている。
「せっかく見つけたんだけどな、これ」
『だが、置いていくわけにはいかんだろ』
マニピュレータを使って指差すデュオに、一号機のパイロットは冷静な口調で指摘した。デュオが心配するほど、彼は動揺していないようで、そのことにデュオは少し安堵する。
「そうなんだよな。キャンサーやパイシーズを使えば、いや何もモビルスーツでなくて無人ロボットでも、敵はここまで来られるんだ」
『持ち逃げするか? ほとぼりが冷めるまで別の場所に隠しておくってのはどうだ』
「悪くないね」
同僚の軽口に、デュオは笑いながら答えた。
 否、声は確かに笑っているが、目はもう笑っていない。
「だけど鬼ごっこはもう始まって……よっと!」
デュオは咄嗟に機体を捻って後部の緊急用スラスタを全開し、相棒の機体を突き飛ばした。
 高圧環境下でのモビルスーツの動きは緩慢だが、それは突如飛来してきた物体も同じだ。
 流線型をしたそれらは、つい数秒前までデュオたちがいた場所に突っ込んできた瞬間に爆発し、すさまじい衝撃波をあたりにまきちらした。場所に似つかわしくない火柱が一瞬生じ、莫大な水蒸気が生み出され、巨大な金槌で殴りつけられたような衝撃が装甲を走り、百戦錬磨のデュオでさえコクピットの中で覚悟を固めるほどの威力を見せつける。
『魚雷! モビルスーツの!』
「わかってる、さっそく来やがったな!」
通信経路を破壊工作済みなくらいだから、敵はもうこちらの位置を知っているのだろう。しかしどれだけレーダーを凝視しても、敵モビルスーツらしき姿はデュオたちには見えない。軍用と民生用の性能差もあるが、おそらくステルスを使っているのだろう。
 つまり、相手が見えないまま彼らは鬼ごっこを始めなければならない、ということだ。
 しかし最初の一撃をかわせたのは大きい、とデュオは思った。敵がキャンサーなら、魚雷は四発しか積んでいなかったはずだ。相手が一機ならあと二発、二機でも六発。それ以上いる場合は考えたくない。
 ミサイルさえ何とかすれば、どうにかなる。
 なんとも曖昧で暢気な打算だが、これが昨夜から真剣に考えた末に出したデュオの結論だった。他によいアイデアなど思い浮かばなかったのだ。
「悪いけど、こいつはお前が持ってくれ」
突き飛ばしたついでに接触した装甲を介して、デュオは一号機のパイロットに頼み込んだ。
「あいつらはこれを欲しがってるんだ。持ってる奴をいきなりミサイルで吹っ飛ばすことはあり得ない」
プリベンターの手にトールギスが渡るのを阻止したいってんなら話は別だが、と内心考えるが、それはもちろん口にはしない。
「俺が後ろについてあんたの機体を護る。だから、頼んだぞ」
『しかし……』
トールギス自体に手が出せないのなら、必然的に攻撃は護衛の二号機に集中することになる。
「元ガンダムパイロットの腕を信じろよ。こういう時のために、俺がこっちに来たんだ」
子どもにこんなことを言われてはさぞかし矜持が傷つくだろう、と思わなかったと言えば嘘になるが、彼の言葉は真実だ。宇宙船ではない船の上では人並み、もしかしたらそれ以下かもしれないが、モビルスーツ乗りとしての才能と経験は、今この時にこそ発揮するにふさわしい。
『……了解!』
一号機がトールギスの下にマニピュレータを差し入れ、機体上部からワイヤを繰り出して固定する。マニピュレータが使えなくなるが、これは致し方ないだろう。元々、海中での機体制御にマニピュレータはさほど大きな役割を果たしていない。
「じゃあ行くぜ!」
デュオは沈んでくる一方のケーブルを切り離し、メインバラストタンクに直結する高圧特殊ポンプを作動させた。海水が満たされていたバラストタンクに高圧空気が送り込まれ、生じた浮力によって機体が海底から浮き上がる。ついで水平方向の移動に使うスラスタのスロットルを全開に持っていき、魚雷が来た方向を背後にして右回りの螺旋を描くように、可能な限りの速度で移動を始める。普段の作業であれば真っ直ぐに浮上すればいいが、今そうすれば狙い撃ちに遭うだけだ。

Chapter 7

 船というものはできるだけ不燃性の材質を選んで造られているが、ビームライフルの高いエネルギーは多少の燃えにくさなど物ともせず、空気を電離し付近の物質を発火させる。
 甲板のあちこちが燃え、イオン化した空気の強い臭いが鼻をつく。甲板員たちはエアリーズに怯む様子も見せず、総出で消火活動にあたっているが、たった数度の威嚇射撃でこれである。まともに攻撃されたらひとたまりもないのは確実だ。
「……贅沢な作戦だ」
ヒイロは甲板の物陰に身を潜め、機をうかがいながら独りつぶやいた。陽動隊の目的は、攻撃によってこの船の機能を飽和状態にすることだろう。余裕を失わせて、海中への支援機能を相対的に低下させれば、海中にいるであろう本隊の作戦成功率が高まるというわけだ。
 それ自体は悪い作戦ではない。
 しかし、しがない民間船から獲物をかすめとるなどという海賊まがいの作戦行動にモビルスーツを五機も投入するなど、よほど運用に余裕がある組織でなければできないことだ。
 それほどの組織がトールギスやトールギスの戦闘記録を欲しがる理由は何か?
「新規にモビルスーツを開発するつもりか?」
ヒイロにはそれしか思いつかない。恐らくは、プリベンターも同じ結論に達しているだろう。

 二機のエアリーズのうち、一機の高度が下がってくるのがヒイロの目に入った。
 ヒイロたちが狙っていたのは、これだ。彼らは格納庫の奥に兵器が―――例えばガンダムが、隠されていないか確認するために下りてきているのだ。
(油断しているな。ならば、勝機はある)
エアリーズがちょうど船の真上を通りかかる。スイッチを入れっぱなしにしていた通信機のマイクに向け、ヒイロは鋭く言葉を発した。
「今だ!」
ヒイロの合図とともに巨大なクレーンが身じろぎし、竜巻の勢いでその長い首を振るう。
 直撃こそされなかったものの、エアリーズはクレーンの勢いに怯み、甲板の真上でさらに高度を下げた。
 その機会を見逃すヒイロではない。
 ヒイロは渾身の力を込めて床を蹴り、低く飛ぶエアリーズのフラップめがけて跳躍した。彼の身体は放物線を描き、すたんと足からフラップの上に着地する。機体の周りに吹き荒れる強い空気の流れに、髪がばらばらにかき乱される。甲板員たちの間から歓声が上がったような気がしたが、ヒイロは聞こえないふりをする。
 ヒイロは高温の排気に触れないようにしながら、フラップから腕、腕から肩の上、肩の上から頭、頭から前に這い伝っていく。高度を上げたエアリーズは腕や頭を振り、機体を左右に傾けて彼を振り落とそうと何度も試みたが、それらは失敗に終わった。
 ついにヒイロはコクピットの上にたどり着き、身体全部を使って這うようにしてそこに張り付くと、左手だけを滑らせて非常用コックを探し当て、躊躇せずにそれを捻った。
 バシュッという空気の漏れる音とともにコクピットハッチが開放され、ヒイロはハッチの縁を両手で掴んでエアリーズの装甲を足で蹴り、倒立から勢いを乗せたまま身体を半回転捻って、狙いも何もつけずに狭いコクピットの中に強烈な蹴りを叩き込んだ。
「うわっ!」
顔面に蹴りをまともに受けたパイロットが怯んだ隙に、パイロットの襟首を掴んで引きずり出して蹴り落とすと、ヒイロは身体を丸めてコクピットに潜り込み、内側からハッチを閉じた。モニタの中で、はるか下方に水しぶきが上がる。
「下が海でよかったな!」
『モビルスーツを奪っただと!? 貴様っ!』
ヒイロはうそぶき、もう一方のエアリーズのパイロットが上げる怒声をあっさり聞き流した。
「民間人だと思い込んで、甘く見すぎる!」
下がりかけていた機首を引き起こして体勢を立て直し、今度は威嚇ではない、はっきりと殺戮の意志を持ったビームライフルの攻撃をかわすと、ヒイロはすぐに反撃に移った。
 かつてウイングガンダム、ウイングガンダムゼロと、空中戦に勝る機体を乗り継いできたヒイロである。上下左右前後、周囲の空間すべてを使って攻撃と防御を瞬時に切り替える操縦技量の高さは、優れた空間把握能力も相まって、ガンダムパイロットたちの中でも一、二を争う。
 ヒイロはショーティ・ビームライフルの出力を落とし、牽制射撃しつつ左右にランダムに軌道を変えながら相手に肉薄した。この銃身の短いビーム兵器は、そもそも遠距離からの精密な射撃には向いていない。
『は、速い!』
「終わりだっ!」
すれ違いざまにトリガを引き、最大出力の一撃を放つ。ビームの光条がエアリーズの頭部を薙ぎ払い、次の瞬間には頭部そのものが消失して、人間の頚椎に似たフレームの切断面が露出する。
 目と耳を同時に失ったに等しいエアリーズはそのまま落ちていき、先ほどのパイロットとは比べ物にならない激しい水しぶきを立てて海面に衝突した。ばらばらに機体が砕け、波を巻き込んで海面下に消えていく。
「そろそろ、来る」
ヒイロはコクピットの中で空を見上げた。
 エアリーズのレーダーは、この海域に高速接近する物体を早くも感知している。
「あれか!」
 北東の空に、ちらりと白い光の粒が見えた。
 みるみるうちに光の粒は大きくなって輝きを増し、間もなくその輪郭がはっきりわかるほどになった。
 それぞれが小型飛行機ほどもある、巨大な双胴を左右に従えた人型。
 すべてを真っ白に塗装されたその兵器は、全開の減速用リバースノズルからオーラのように青白い炎を噴き上げ、それでも秒速数百メートルに及ぼうかという速度を殺しきれずにこちらへと突っ込んでくる。
「あれが、トールギスV……」
ヒイロはかつて、今となってはトールギスTと呼ばれるであろう機体と二度、戦った。プロトタイプ・リーオーとも呼ばれた世界で最初の戦闘用モビルスーツは、パイロットの生存性をまったく無視した設計がなされており、だからこそガンダムと唯一互角に渡り合うマシンになり得たという。
 それだけの力を再び手にして、自分はどうしようというのか?
 ただ友人を助けるためだけには、あまりにも大きすぎる力ではないか?
(違う、そうじゃない)
ヒイロは苛立ちを覚えた。どうして自分は、彼に関わることとなると、何度も嘘を重ねるのだろう?
 トールギスを、あるいはトールギスの戦闘記録を奪われれば、綱渡りに似た世界の均衡は瞬く間に崩れてしまう。ヒイロにはプリベンターの味方という意識はなく、ただひたすら、もう自分のような戦闘機械が生み出されることを止めさせたいという思いだけで行動している。
 もちろん、自分ひとりの力ではどうにもならないことも承知している。例えばリリーナ・ドーリアン。
 あの砂色の髪の少女は、影のように生きることしかできないヒイロの力の及ばないところで、同じ思いを抱いて日々前に進みつづける。
 彼女を助けたい。そのために、あれは必要だ。
 危険の中にあるデュオを助けたい。そのために、あれは過ぎた力だが、必要だ。
 あいつらは敵だ。排除するには、あれは必要だ。
 闘争本能とともに複数の思いが一瞬にして交錯し、ヒイロは戸惑う。
 力のない者たちが、身の丈に釣りあわない大きな力に誘惑される理由がわかったような気がした。
(俺もまた、そうなのだ)
 高度八百キロメートルの高みから降下してきたトールギスVは、最後の逆噴射を終えてもなお南西方向に飛んでいく。
 ヒイロはエアリーズを駆ってそれを追う。
 トールギスVは高度を海面すれすれにまで下げると、水鳥が湖面に舞い降りるように滑らかに着水した。水しぶきが壁のようにせりあがり、白い航跡が後に伸びていく。
 それに追いつき併走するエアリーズのハッチを開放し、ヒイロはトールギスVの背面に飛び降りた。通常であれば宇宙用居住モジュールなどが接続されるエアロックを開き、コクピットの中に乗り込む。
 造られて間がなく、エイジングもされていない機械特有の臭気が満ちるコクピットには、すでに灯が入っていて、いつでも操縦を受け入れる準備ができていることを彼に教える。
 ヒイロはあえて感情に引きずられる道を選び、エアロックを閉じた。

 二対四基のスラスタが高音を奏で、青白い炎を噴き上げ、おびただしい水煙の幕を生み出す。
 その幕を突き破るようにして、トールギスVは再び空に舞い上がる。先刻まで従えていた打ち上げオプションはすでに切り離され、いつでも戦闘機動に移れる態勢だ。
(ガンダムを捨てる。そうでなければ、俺たちはいつか、またこの力に引き寄せられてしまう)
「行くぞ、トールギス!」
高らかにヒイロは言い放ち、空の上から水の下に機体を突入させた。

Chapter 8

 海中では、デュオたちの乗る作業用モビルスーツ二機とキャンサー二機との交戦が続いていた。
 デュオは二号機を常に一号機とキャンサーの間に割り込ませながら浮上し、敵にミサイルを撃たせないまま海上まで逃げ切ろうとしていた。一度海上に出てしまえば、船にいるはずのヒイロたちの援護が望めるからだ。
 水深がどんどん浅くなっていき、機体の周囲は真の暗闇から薄明かりの射す濃紺の世界に変わっていく。
「もう少しで逃げ切れる!」
デュオの操縦桿を握る手に力がこもる。
 と、その時。
『デュオ、新手がいるぞ!』
一号機のパイロットの悲鳴めいた叫びが上がるのを耳にし、デュオはつられて上を振り仰いだ。
 そして、予想していなかったものを見た。
「リーオー!」
はるか上から降り下りるかすかな太陽の光を背にして、見慣れたシルエットの黒い影が揺らめいている。
「何で、ここにリーオーがいるんだ!?」
『もしかして、船がやられたのか!?』
ノインから昨晩もたらされた情報によれば、盗難されたモビルスーツはリーオーとキャンサーの二種だ。常識的には、陸戦用のモビルスーツを水中で運用することはまずあり得ない。リーオーが使われるなら、それはサルベージ船の制圧に目的を限るだろう、とヒイロとデュオは予想していた。
 そのリーオーがここにいるということは、船はどうなってしまったのか?
「ヒイロの奴、駄目だったのか?」
すでにサルベージ船は制圧されてしまったのだろうかと、デュオは下唇を噛む。
『うわあっ!』
リーオーはトールギスを抱える一号機を獲物と見定めたか、スラスタで機体を加速して距離を一気に詰め、猛然と襲いかかった。リーオーは水中で使える武装オプションを持っておらず、必然的に取れる戦闘手段は格闘戦に限られてくるが、どんなに平凡であっても軍事用の機体、民間機を叩き潰すことくらいはたやすいはずだ。
「逃げろ!」
デュオは自分も逃げなければならないことも忘れて叫んだ。
「真っ直ぐに逃げるな! 相手が追い込もうとしている方向じゃなくて、別の方向に逃げろ! リーオーは深いところには追ってこられない、深海に……っ!」
そこまで言ったとき、凄まじい衝撃がコクピットを揺さぶった。デュオは側面ディスプレイに頭をしたたかにぶつけ、一瞬気が遠くなりかけたが、すぐに持ち直してインジケータに視線を走らせる。
『デュオっ!』
「やられたっ」
機体本体への直撃は避けられたものの、魚雷は機体上部のバラストタンクの半分以上を一撃で破壊していた。赤い警告灯がコクピットに灯り、それを実証するように機体が沈み始める。
 一号機と距離が離れたことで、キャンサーには攻撃を遠慮する理由がなくなったのだ。
「畜生!」
コクピットの中でデュオは悔しげに罵り、あと少しで出られるはずだった海面を見上げた。キャンサー二機は、なおもしつこく自分を追ってこようとしている。
 もう、逃げるか、腹をくくって応戦するしか、残された道はない。

「発見した……」
その頃、海面直下のトールギスVのコクピットで、ヒイロはリーオーを発見していた。
 リーオーは武装のかわりに金属の塊のようなものを抱えている。かつての面影はなく変わり果てた姿だが、たぶんあれが、引き揚げられたトールギスの残骸なのだろう。
 ヒイロはスラスタを噴かしてトールギスVを加速させ、リーオーに接近させた。その轟音にリーオーが気づかないわけがなく、すぐに機体を翻して応戦しようとする。しかし両腕が塞がっている上、水中で使用できる武装はない。
 トールギスVは水中では使えないビームサーベルを盾の裏から引き抜き、リーオーに立ち向かう。
 それを認めたリーオーは止むを得ず残骸を手放すと、そのまま素手でトールギスVに殴りかかってきた。
「はっ!」
ヒイロはそれを余裕をもって回避し、逆に延び切った相手の腕を無造作に掴んで、機体をブーストジャンプさせて海上に駆け上がる。
 海上に出た瞬間、ヒイロはビームサーベルのスイッチをオンにした。蛍光レッドに光る刀身が長く伸び出し、リーオーを背後から串刺しにする。胴体を貫き、ビームの刃の先端がリーオーの喉元に突き出し、次いで激しい炎を噴き出して、リーオーは海の中へ墜落していく。
 呆気ないほど簡単にリーオーとの勝敗は決したが、ヒイロにはまだ休まる暇はない。すぐに海に飛び込み、再び深みに没しようとしていたトールギスの残骸を追いかけ、回収する。
『こちらブリッジ、白いモビルスーツのパイロット、応答せよ』
その時、全周波帯域の通信がヒイロの手元に飛び込んできた。声の主は、サルベージ船のブリッジでヒイロの隣にいた、あの通信士だ。
「こちら、トールギスV。何だ」
平板な声で応答を送ると、ほどなく返信が返ってきた。
『デュオの二号機をロストした。一号機パイロットが、二号機に魚雷が命中したのを目撃している』
「何だと?」
ヒイロは信じられないというように首を振った。デュオが死んだ、だと?
「そんなことが、あるわけがない」
『事実だ』
通信士の声はかすかに震えているように聞こえた。
「……ならば、俺が行って確かめる」
『おい、待て! 危険だぞ!』
ヒイロはもう、通信士の言葉を聞いていなかった。トールギスの残骸を船の甲板に叩きつけ、再三機体を海中に向けて躍らせる。
 地上用のモビルスーツで深海に赴くことの危険を、知らないわけではない。しかし、だからといって自分の信じがたい事態を粛々と受け入れるほど、ヒイロは冷静な性格ではなかった。
 命がけの仕事を彼に伝言した者として、責任を。
 約束を、自分は命をかけて果たさなければならない。

Chapter 9

 装甲が、軋んでいる。
 水深が五百メートルを超えた。ノインから告げられていた、トールギスの活動限界となる深さである。これより深みは、いくら頑丈に造られているトールギスといえども、いつ圧壊してもおかしくない危険な場所だ。
 それでもヒイロは、デュオの機体の駆動音を求めてさらなる深みへと潜っていく。
 恐怖がないわけではない。真空の宇宙に放り出されて酸欠で死ぬのと、水圧にコクピットシェルごと潰されて挽肉のように肉体を破壊されて死ぬのとでは、どちらが楽なのだろうという暗い想像が頭の隅から離れない。

 変化は、ほとんど前触れなく起こった。
[警告/能動電子センサアレイ異常]
 ミシミシと不吉な音が聞こえ、次の瞬間にはバン! と金属板がへし曲がり、強化ガラスが砕ける音とともにレーダーがブラックアウトした。レーダーの筐体が機体本体よりも先に圧壊したのだ。しかし、地上・宇宙戦用のレーダーなど、水中ではほとんど何の役にも立たない。今の状況では、壊れて使えなくなったところでたいした影響はない。
[警告/左脚部関節動力伝達異常]
 関節に浸水が始まったのだろう、左脚がコントローラからの指示に反応しなくなった。もっとも脚など、地上以外では関節のついたカウンターウェイト以上の意味はあまりない。
 まだヒイロは諦めていない。水中用の本格的な音響ソナーはなくとも、外部の音を拾う集音マイクを頼りに、モビルスーツの機動によって生まれる音の聞こえる方角を目指す。
「もう少しだ」
水圧に悲鳴を上げる機体に言い聞かせるかのように、ヒイロは独り言をつぶやいた。
「持ちこたえてくれ。俺は、あいつを手駒で終わらせたくない」
ヒイロはもう、誰のための手駒にもなりたくない。デュオをそうしたいとも思わない。
(彼女らからの仕事は、二度と受けるまい)
だから、行かなければならない。
 その時、集音マイクから、かすかなノイズが聞こえてきた。

 ソナーの反応と聞き覚えのないモビルスーツの駆動音に、新手が来た、とデュオはいよいよ覚悟を固めた。
「まあ、俺としちゃあ、頑張った方だよな……」
そうコクピットで独りごちるデュオは、ずいぶん前から肩で息をするようになっている。空調が効いていたはずなのに、ひどく寒く感じるのは何故だろう。
 二機いたキャンサーは、今では一機に減っている。一機は果敢にもデュオから格闘戦を仕掛け、船体などを切断するのに使うグラインドカッターを相手のコクピットハッチにねじ込んで切断し、コクピットの気密を失わせることによって辛うじて倒すことができた。
 それを見たもう一機は、デュオに正面を取られることを全力で回避するようになり、戦況は膠着状態のまま現在に至っている。
 至近距離を保ったままキャンサーの背後を取り続けることで、デュオの乗る作業用モビルスーツはキャンサーの魚雷攻撃を防いでいた。が、体当たりによる直接攻撃はかえって回避しにくくなり、何度も大質量がぶつかった装甲は丸みを次第に失い、表面が凸凹に歪んできている。これでは耐圧性能が相当に低下しているはずだ。
 加えて、浮上するためのバラストタンクはサブ二基を残して魚雷に完全に破壊されてしまった。残ったサブと、本来水平移動に用いるスラスタを併用しても、キャンサーから完全に逃げ切れるほどの機動力は二度と生み出せない。
 キャンサー二機を相手にしただけで、この有様だ。この上敵に加勢がついたら、もう手の施しようもない。
「だけど、ただ死んでたまるかっ!」
コクピットシェルの外に水の絶えず流れる音、空気の漏れる音を耳にしながらも、デュオは吠えて操縦桿を握り直し、新たな音の聞こえた方向を振り返った。
「えっ!?」
キャンサーの背後を離れようとしたデュオの動きが、一瞬止まった。ライトの届くぎりぎりの範囲内に、純白の機体の姿が浮かび上がっているのを見たからだ。
「トールギス!」
デュオの知るトールギスの形状とは似ているものの、別の機体であることはすぐにわかった。カラーリングが異なる上、頭部ユニットや盾の形状も少しずつオリジナルとは違っている。
 トールギスの姿を見たキャンサーは機体を反転させ、その場を脱出しようとした。
 その隙を見逃すはずもなく、トールギスは左腕に装備した長い鞭をしならせ、キャンサーに向かって一気に繰り出した。
 空中よりもはるかに遅い速度で、しかし鞭は確実にキャンサーの片腕を捉える。
 暗闇の中で、鞭が赤く輝いた。高熱を発する鞭の表面に触れた海水が瞬時に気化し、莫大な量の白い気泡が生み出され、視界を覆い尽くす。
 トールギスは絡みつかせた鞭を無造作に振り抜いて、キャンサーの片腕を斬り落とした。
 機体のバランスを失ったキャンサーは、そのままゆっくりと海底に沈んでいく。
「すっげー……」
あまりにも呆気ない戦闘の終わりに、デュオは目を丸くした。かつて自分がガンダムに乗り、ごく当たり前のように取っていた戦法が、傍目にこれだけ一方的に映るとは思ってもいなかった。
 戦闘を終えたトールギス―――トールギスVがゆっくりと近寄ってくる。
 互いの装甲が触れあう。
『デュオ、無事か』
接触した装甲を介して、くぐもった声が聞こえてきた。
 紛れもなく、この声はヒイロのものだ。
 ヒイロの声を聞いただけで、デュオは全身の力が一気に抜けるのを感じた。代わりに長時間の緊張から来る疲労が押し寄せてくる。昔は―――そう、初めて出会った頃には考えられなかったことだ。
「……驚かすんじゃねえよ、無事に決まってるだろ」
はーっと長い息をつき、ようやくデュオはそれだけを言った。次は何を言えばいいのだろう? 『助けてくれてありがとう』とか、そう言えばいいのだろうか?
『なら、いい』
素っ気ないヒイロの返事に、それらの素直な発言案は瞬く間に消え失せた。
「お前なあ……」
代わりに、一生治る見込みのない、憎まれ口を叩く悪い癖が、デュオの意識上にひょいと顔を出す。
「その機体、もうボロボロじゃねえか。せっかくノインが無理して持ち出してくれたってのに、無茶しやがって。そいつはガンダムとは違うんだぞ?」
一見するだけでも、トールギスVの損傷は見て取ることができた。白い塗装は近くで見れば、無理な大気圏再突入の高熱に負けて溶けて流れかかっており、装甲のない関節は水圧に押されて歪んでいる。頭部ユニットのセンサーカバーが割れ、今もそこから空気が漏れ出している。
『機体など乗り捨てるものだ』
そ知らぬ様子でヒイロが言う。
『惜しんで任務に失敗しては意味がない。それに……』
「ああ、何だよ?」
言葉を切って口をつぐむヒイロに、デュオは投げやりに応える。
『……どこにいようが見つけ出すと、約束した』

 デュオはまずきょとんとし、それからただ嬉しそうに笑って、モニタに映るトールギスVの姿に手を重ねる。

Epilogue

「君たちに、このような危険な仕事をさせてすまなかった」
トールギスVに遅れること四時間、ようやくサルベージ船に到着した輸送機から降り立ったノインが真っ先にしたのは、ヒイロとデュオに詫びることだった。その後、サルベージ船の乗組員にも感謝の言葉を述べ、今はまた、一番上の甲板で風に吹かれながら、三人はつい先ほどまで戦場だった海を見ている。
 そこには、モビルスーツの残骸がいくつか波間に浮き沈みしている以外は、何の痕跡も残っていない。間もなく沈みゆこうとしている秋の夕日は、穏やかに海面を照らしている。
「君たち以外に頼める仕事でもなかった。だが、無事でいてくれて本当によかった」
そう言うノインの表情は子どもを心配する母親のようだが、親の顔をほとんど知らないデュオたちは不思議そうにその顔を眺めている。やがてデュオが口を開いた。
「ノイン、ひとつ聞きたいと思ってたんだ」
わざとらしいくらい無邪気な声で、デュオは言う。
「何だ?」
微笑みを浮かべ、振り返ってノインは訊く。
「ハワードのおっさんは、元気にしてるかい?」
何気ないデュオの一言にふいを突かれ、ノインは咄嗟に答えられなかった。
「……なぜ、それを」
「トールギスV。あれ見てピンと来ない奴の方が馬鹿だろうよ」
明快な答えである。
「忙しくしてはいるが、元気に過ごしているようだ」
ノインは正直に告白することにした。
「君のことを気にかけていた」
「そうかい」
ひらひらとデュオは手を振り、彼女に別れの挨拶を告げる。
「じゃあ、伝えてくれ。『しばらく帰ってこなくていいぞ。何とかやってるから、こっちのことは心配すんな』ってね」
「……伝えておこう」
ノインはもう一度、微笑みを返すと、再び二つの海を越えるために輸送機に乗り込んでいった。

「さて、ヒイロも帰るのか?」
ノインが帰っていったのを見届け、肩の荷が下りたとばかりにうんと背伸びをして、デュオは背後のヒイロを振り返った。
「よければ送ってくぜ。バルパライソじゃなくても、もうちょっと宇宙に帰るのに便利のいいところまで」
「帰らない」
甲板の手すりにもたれかかって、ヒイロは北の島を眺めていた。
「……ええと、何だって?」
何か自分は聞き違いをしただろうか、とデュオは不思議そうな顔をした。
「あの島は何というんだ?」
首をかしげるデュオを尻目に、ヒイロは島を指差して訊ねる。
「ああ、あそこはロビンソン・クルーソー島っていって、観光地になっててだな……」
すらすらと答えかけ、あれ? と再びデュオは首を傾けた。
「あっちに行きたいのか、お前?」
「そうだな」
ヒイロは短く告げ、それでもデュオがわからないような顔をしているのを見て、面倒そうに再びつぶやいた。
「お前となら、どこに行ってもいい」
「馬鹿なこった」
デュオは悪戯めいた笑みを浮かべて、ヒイロの顔を見た。珍しく、らしくもないことを真っ直ぐに口にしたからか、ヒイロはばつの悪そうな顔をして明後日の方向を向いてしまう。
「だったら、しばらく扱き使ってやるよ。覚悟しな」
それでいいというように、デュオの方を見もしないまま、ヒイロは手を振って応えた。

Fin.