Seabird / Trail - The First Part

Chapter 1

 ヒューストン宇宙港からサンパウロ空港、さらにアルトゥロ・メリノ・ベニテス空港へはともに空路、空港からは列車に乗り換えて北西へ向かい、一時間と少しでプエルトという名の駅に着く。
 『プラット埠頭』と掲げられた案内板に従って駅を北に出ると、観光客や船旅の客を相手にした土産物屋が軒を連ね、トレーラーが走る通りの反対は、柵に囲まれて色とりどりのコンテナが積み上げられるコンテナヤードになっている。秋の観光シーズンであるからか、人通りは多い。サンティアゴと違って、ここバルパライソの天気は快晴だ。
 ヒイロ・ユイは陽光の眩しさに思わず目を細め、額の前に手をかざして、今立っている場所から右に折れ、海岸に沿って東に続く通りを眺めやった。色とりどりの住宅が立ち並ぶ前の街路樹を植えた歩道には、パラソルを差した露店が出され、車道を緑色のバスがすれ違う。人はたくさんいるが、大抵は観光客と地元の買い物客のようで、彼の存在を気にとめる者はいない。
 住宅街は海岸通りから山の上まで、傾斜地を埋め尽くすようにずっと続いていて、まるで積み木を積み上げたように見える。潮の匂いを運んでくる湾からの風に誘われ、ふと海岸を見渡すと、これも観光客相手のものだろう、白、青、赤、黄と賑やかな色あいをしたランチが舳先をそろえて並んでいる。人々のざわめきに交じって、どこからか海鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 しかし、ヒイロが宇宙から地球に降り、わざわざ南米の歴史的な港町にやってきたのは、観光客相手のランチに乗ったり、何度建て替えられても建設当時の姿を留めるようにしているというアセンソールを見物したりするためではない。ヒイロは視線を埠頭通りに戻すと、埠頭の先まで行くべくぶらぶらと通りを歩き始めた。
 柵の奥にはコンテナの他にも、コンテナを積み下ろしするためのトランスファー・クレーンやリフター、運搬作業用のモビルスーツやシャーシを取り付けたトレーラーなどが何台も稼動しており、さらに奥には白と赤に塗り分けられた巨大なガントリー・クレーンがその長い腕を接岸中の船に向かって差し出している。その間にはちらほらと人影が見え、忙しく立ち働いているようだ。
 通常、コンテナヤードに一般人は入れないが、ヒイロは周囲の人通りが途切れる瞬間を狙って、高さ二メートルはあろうかと思われる柵を一挙動で飛び越え、敷地内に入り込んだ。その後は敷地の隅にある管理棟や冷凍保管庫には目もくれず、停泊している船に向かって物陰から物陰へと伝っていった。
 船はサルベージ船らしく、舳先に一機、艫に二機のクレーンが屹立している。広い甲板は作業用スペースとして使われるのだろうが、今はがらんとしている。元々乗組員の数が少ないのか、船上に見える人の姿はまばらだ。
 ヒイロはその船の姿に見覚えがある。一年前、オペレーションメテオに参加したヒイロは、ウイングガンダムとともに地球に降下し、その途中でウイングガンダムを失った。ヒイロは破壊を試み、自分も自殺を試みたが、それを阻止したのが同型機といっても差し支えないほどに似た漆黒のモビルスーツ、ガンダムデスサイズを駆るデュオ・マックスウェルだった。ヒイロが全寮制の学校を潜伏先にしていたように、デュオはこのサルベージ船を根城としていて、怪我を負ったヒイロは彼によってここに連れて来られたことがあるのだ。
 だから、船内の構造もおぼろげではあるが記憶に残っている。
 何食わぬ顔でスロープを渡り、船上に上がる。やはり人は少ない。ヒイロは巻き上げ機や救命ボートの間をくぐるようにして歩き、船の中央を目指して歩いた。そこは確か、モビルスーツの格納庫があったはずだ。ヒイロがいた時には、海底から引き揚げられたガンダムが整備を受けていた場所である。
 行き着いた先には、一年前そのままの姿の格納庫が残っていた。扉は閉ざされているが、甲板にはついさっきリフターが通り過ぎていったタイヤの痕跡が残っている。今行われている積み下ろしで、コンテナが中に搬入されたのだろう。中にはまだ、モビルスーツがあるのだろうか。
 内部に入れそうな出入り口を探して、ヒイロは周囲をぐるりと一周しようとした。
「よう、兄ちゃん。こんなところで探し物かい?」
背後からふいに声をかけられ、ヒイロは少なからぬ驚きをもって、聞き慣れた声の主を振り返る。
「相っ変わらず挙動不審が直ってないぜ、ヒイロ」
数メートルと離れていない距離で、黒いキャップに黒い服、長く編んだ茶色の髪が潮風に揺れている。
 少し日焼けした以外は数ヶ月前と微塵も変わらない姿で、デュオはヒイロの後ろに立っていた。腕を組んでいるのは武器を持っていないという意思表示だろうが、いつもそうであるように、彼はヒイロにとって死角になるポジションをたやすく奪取してしまう。
「久しぶりだな。四、五ヶ月ぶりくらいか?」
デュオはそう言ってキャップを取ると、大胆な足取りでヒイロの前まで歩み寄り、握手を求めようと手を差し出した。
「まったく、驚いたぜ。まさかあんたがお使いに寄越されてくるなんて、考えもしなかったんだから」
ヒイロは差し出された手を無視した。それに気づいたデュオは、ああそうか、こいつはこういう奴だった、と言わんばかりに首を振り、すぐに手を引っ込めてしまう。
「俺もだ」
船の中を見渡して、ヒイロは言った。ここには数日しかいなかったはずなのに、記憶も不確かであるはずなのに、今となってはとても懐かしい場所のような気がする。
「お前が地球に行っているとは思わなかった」
「まあ、色々あったのさ」
デュオはキャップをかぶりなおすと、そうだ、と右の拳を左の掌に打ちつけた。
「俺、昼メシまだなんだ。出港まで時間があるし、どっか食いに行こうぜ」
ヒイロに断る理由はなく、彼らはヒイロが来た道とは違う、正規の出入り口から街中に出た。

「L2に帰って、しばらくたった頃だったかな。手紙が来たんだよ」
揚げたての肉詰めパイを半分に割って、その断面から中身がこぼれ出さないようにぱくつきながら、デュオは言った。テーブルの上には他にも、大きな鶏肉を煮込んだ具だくさんのスープや海鮮サラダが並んでいる。ヒイロも十六才の育ち盛りらしく、注文した料理の量では負けていない。かくして、狭いラウンドテーブルは二人が並べる皿であふれ返っている。
 メインストリートに面した無数の大衆食堂とカフェの中の一軒で、二人は遅いランチを取っていた。とはいえ、この地域のランチタイムは遅く、周囲も彼らと同じように、ランチ休憩の人々で混雑していて賑やかだ。
「それがハワードからの手紙でさ、隠居するからお前にサルベージ船を譲る、って言うのさ」
元々のサルベージ船の持ち主であるハワードは、二十一年の昔、世界で最初の戦闘用モビルスーツ、トールギスの開発に推進システムの専門家として関わっていた。彼は後にガンダムを建造する五人の科学者たちがOZを出奔した後も開発を続け、惑星間航行能力を持つ戦闘艦ピースミリオンの建造にも携わった。その後、技術者を辞めて地球に降り、『海の上でのんびりしたい』とサルベージ稼業を始めたという。もっとも、彼の身の上話のどこまでが真実でどこからが嘘なのかは、ガンダムパイロットたちの中で最も彼と親しかったデュオにも、実はよくわかっていない。
 ヒイロは相槌すら打とうとせず、黙々と料理を口に運んでいて、人の話を聞いているようにはとても見えないが、付き合いの長いデュオには、そうではないことがわかる。相変わらず礼儀というものを知らないんじゃないか、と思いはするものの、それを今あえて口に出そうとは思わない。
「で、いったいどういう風の吹き回しだろうと思って連絡を取ったら、いねえんだよハワードが。ご丁寧に『あとのことはデュオに任せる』なんて置き手紙していったらしくて、今ごろどこをほっつき歩いてんだか」
「だから降りてきたのか」
デュオが話を始めてから、初めてヒイロが口を開いた。
「そ」
フォークの先で煮崩れかかった芋を崩してスープに混ぜながら、デュオはうなずいた。
「ああ見えても、ハワードは技術者の端くれだからさ。遊びに行っちまったならともかく、どっかの組織に誘拐されて、何か危ないモンでも設計させられたりしてちゃ、寝覚めが悪いだろ」
「調査は?」
「もちろん、したさ。でも今のところ、何にも手がかりなしだ」
「ふん」
先に食事を終えたヒイロは、皿を積んでできた空きスペースに、一枚のデータディスクを放り出した。
「よく船を継ごうなどと思ったな、そんな経緯で」
「もしかしたらこれが遺言かもしれない、と思ってさ……それ、何だよ?」
ヒイロに一呼吸遅れて食べ終えたデュオは、自分の前の皿を横にのけて、置かれたディスクをしげしげと眺める。
「これは?」
「お前に渡すよう、頼まれたものだ。解読コードは別ルートでお前の元に届いているはず」
「確かにそうだ、念の入ったことで」
テーブルの上からディスクをひょいと指でつまみあげ、デュオはそれを空中に放り投げ、くるくると落ちてくるところを片手で器用に受け止めた。
「それで、引き揚げるブツってのはいったい何だ? そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」
「確かに、もう隠す必要もない」
ヒイロはうなずき、あたりを憚るように声を低めて、言った。
「トールギスの戦闘記録だ」

Chapter 2

 イヴ・ウォーズ終結後、故郷のL1に戻ったヒイロは、平凡な一学生として日々を過ごしていた。
 もう戦うことも、人殺しもしなくて済む。そのことに深い満足を感じていた彼のもとに、サリィ・ポォから連絡が入ったのは数日前の深夜のことだ。
「お久しぶり、ヒイロ」
完全に隠匿したつもりでいた自分の居場所と連絡先が、すでに先方に突き止められていることにヒイロは困惑したが、そんなことは臆面にも出さずに、画面の向こうで微笑んでいるサリィをまっすぐに見据える。彼女はベージュのシャツにネクタイを締め、黒を基調にしたジャケットを羽織っている。どうやらそれは、ヒイロの見慣れない新しい制服のようだ。
「……ヒイロ・ユイの名前は、まだ有効かしら?」
返事をしないヒイロに、サリィは小首をかしげ確認するように言う。
「好きに呼べばいい」
無愛想にヒイロは答えた。
「世間話がしたくて俺を探し出したわけじゃないだろう」
「ええ、その通りよ」
ヒイロの言葉にサリィがうなずく。彼女があえて口に出さなくても、ヒイロにはわかる。彼女は、彼に向かって『ヒイロ・ユイに戻る意志はあるか』と言外に訊ねているのだ。
「あなたに、お使いを頼まれて欲しいの」
面倒な前口上は不要とばかりに、サリィはすぐ本題を切り出してきた。
「使い?」
いぶかしげにヒイロは訊ねる。
「行き先は地球よ。ある場所に、あなたのとてもよく知っている人間がいる。その人間に、とある仕事を頼んでくれないかしら。どう、簡単でしょう?」
確かにまったく簡単な頼みごとのように思える。しかし本当に簡単で安全な頼みごとなら、わざわざ居場所を探し出して、気難しいヒイロ相手に交渉をしようなどとは考えないだろう。
「まったく簡単に思えるな」
気のない返事を装いながらも、ヒイロはサリィの言葉の裏の意味について考えをめぐらせた。
「誰がいるんだ?」
「それは着いてのお楽しみ。あなたに危害を与えるような人じゃないことは保証するわ」
ふふ、と悪戯めいた笑みを浮かべて、サリィは言った。これに関して嘘はないとヒイロは判断する。おそらく、その相手とはガンダムパイロットか、ガンダムパイロットに縁のある者のうちの誰かだ。
「では、仕事とは何だ」
こちらについてはヒイロの興味は薄いが、念のため訊いておけるものなら訊いておきたいことだった。
「トールギスの回収よ」
「……!」
あっさりとサリィは言い、会話を始めて以降ずっと失せていたヒイロの表情が、トールギスの名前を聞いて初めて険しくなる。
 ヒイロは画面に身を乗り出し、訊ねた。
「奴は生きているのか」
サリィは首を振って、断言する。
「ゼクス・マーキス―――ミリアルド・ピースクラフトは死んだわ」
「では、なぜ回収しようとする」
珍しく言いつのるヒイロに意外そうな顔をしながらも、サリィは誠実な態度を崩さない。
「トールギスのデータを手に入れたがっている組織の手に渡るのを阻止するため。データというのは、機体の構造や、コンピュータに残されている戦闘記録のことね。あなたなら、その価値がわかるでしょう」
「……了解した」
一瞬の判断ののちにヒイロは顔を上げ、きっぱりと言った。
「俺がすべきことを言え。ただし、こちらも交換条件を要求する」

「へー、そんなことがねえ」
危機感を感じているのかいないのか、手の中の工具をくるくると回して弄びつつ、のんびりとした口調でデュオは言った。
 ここはサルベージ船内のモビルスーツ格納庫だ。一年前はデスサイズが整備用ハンガーに収まっていたその場所に、水中作業用モビルスーツが三機、うずくまるようにしてたたずんでいる。黄色に塗装された三機のモビルスーツは、深海の高圧に耐える厚く丸みを帯びたチタニュウム合金製の装甲、浮力を調節するためのバラストタンクがメイン四基にサブ三機、作業用のマニュピレータ一対を備えていて、戦闘用モビルスーツに比べて二周りほど小さく造られている。
 バルパライソ港を夕刻に出港したサルベージ船は、ほぼ真西に向かって航行中である。目指すはファン・フェルナンデス諸島、バルパライソから約七百キロメートル西に離れた、太平洋に浮かぶ小さな島々である。この船の足をもってすれば、さほど遠い場所ではない。スケジュール通りなら明日の昼前には目的海域に到着するので、デュオは到着後の準備作業に備えて、今からモビルスーツを整備しているのだ。
 ヒイロの見るところ、船内におけるデュオの仕事は、あまりないように思える。子どもの頃から宇宙船に親しみ、その操縦や整備には精通していても、船のことはたいして知らないようだ。ヒイロはデュオを飽きっぽい性分と評しているが、そのはずの彼が、船員たちになついては仕事を教わっている。特に機関に興味があるらしく、ベッドが使われている様子のない彼の個室には読みかけの本が積み上がり、本人は機械油で汚れたつなぎの姿で、夜が更けるまで船の中を往復していた。深夜になってようやく、本来の仕事とばかりに格納庫にやってきて、たったひとりで点検整備を始めたのだ。
 その様子は生き生きとして楽しそうに見えた。これがデュオの天職なのだろうか、と考え、では自分の天職とは何なのか、ともヒイロは思う。
「いいのか?」
あまりにも気楽そうなデュオの言葉に、デュオが整備している機体の脚に寄りかかり、腕を組んでいたヒイロは言った。
「単なる引き揚げだけで終わる仕事じゃない。攻撃を受ける可能性が十分にある」
「最初からそれはわかってるよ。でなきゃ報酬にあんな法外な数字が出てくるわけがない」
デュオは機体の上で立ち上がって伸びをし、首を傾げて自分の肩を工具の柄でたたく。
「つっても、こっちじゃ大した対策は打てないんだよな。デスサイズヘルを持ってくるわけにはいかなかったし、モビルドールが普及するわ、あのトレーズがありったけのモビルスーツを宇宙に持ってっちまうわで、裏ルートでも戦闘用なんて手に入りにくくなってるし。唯一、ここの連中はそういうリスクをわかってる奴らばかりだってのが救いかな」
そのことはヒイロも納得できた。かつてはウイングゼロを駆っていたヒイロもまた、デュオと同意見だ。彼らのガンダムは戦争を終わらせるためだけに造られ、戦争の終結と同時にその役目を終えた。ガンダムを単なる暴力の解決手段として使うつもりはない、と、デュオは言っているのだ。
 乗組員たちのことも理解できる。乗船してからわかったことだが、見かける乗組員の半数近くに見覚えがあった。ヒイロはモビルスーツのパイロットだったから、操艦を主な任務とする彼らとはほとんど接点がなかったが、間違いなく戦艦ピースミリオンにも乗り込んでいた者たちだろうと思われた。戦闘が起こるかもしれないというリスクには、慣れているのだ。
「ヒイロはどうなんだよ? サリィから何か預かって来られなかったのか?」
「何も」
「……即答すんなよなー」
デュオは大げさな身振りでがっくりと肩を落としてみせる。
「お前も物好きだよな。頼まれたのはお使いだけだろ? つきあってくれなくたってよかったんだぜ、こんな危険ばっかりで、いいこと一つもない仕事なんか」
「別に、好奇心だけで来たわけじゃない」
やや憮然とした面持ちで、デュオを見上げてヒイロは言う。
「義務感?」
「そんなところだ」
反射的にヒイロは嘘をついた。
「模範解答だな」
チェシャ猫の笑いを浮かべて、デュオはヒイロを見下ろしている。見抜かれていると感じたヒイロは居たたまれなくなって、デュオから視線をはずした。
「そういうお前は、なぜ船を継ごうなどという気になったんだ」
「俺は宇宙生まれの宇宙育ちだから」
モビルスーツからハンガーによじ登り、そこからタラップを踏んで床に降りてきながら、お下げ頭の少年は言った。錆止めを塗った鉄板に硬い靴底が打ち当てられ、本人同様に騒々しい音を周りに撒き散らす。
「船は、すっげえ大昔から使われてきた、いわば宇宙船の遠い先祖だろ? だったら、船乗りの見ていた風景はどんなもんだろうかと思ってさ」
「思ったとおりだったか?」
「いーや、大誤算だった!」
長いお下げ髪をぶんぶんと勢いよく振って、デュオは言う。
「サルベージ屋がこんなに金を食う仕事だとは思わなかったぜ。戦争の後だから仕事自体は山ほどあるけど、競争激しくってさ」
駆け出しのデュオを始めとするサルベージ師がどんな仕事を引き受けているのか、ヒイロには容易に想像がついた。それはおそらく、コロニーのジャンク屋や、彼がもともと属していたというスイーパーグループの稼業と、場所が異なっているだけで、さして内容自体は変わるまい。
「だから、ホントのところ、もうやめようかと思ったんだ。俺はあんまり人の上に立つのに向いてないみたいだし、他の、経験がちゃんとある奴に任せた方が、よっぽどマシなんじゃないかって」
デュオは工具を差すウェストバッグのバックルをゆるめ、足元のツールボックスにバッグごと放り込んだ。
「……でも、時々こうやって誰かに会えるんだったら、もうちょっと頑張ってもいいかもな」
「……馬鹿」
嘘をついた後ろめたさを引きずりながら、ヒイロはあえてそう言った。
「どこにいようが、必要があれば行って見つけ出す。それだけだ」
それを聞いたデュオは、ほっとしたような、心の底から嬉しそうな顔をした。

Chapter 3

 日付が変わったばかりのブリュッセルに、地球圏統一国家情報部『プリベンター』は本部を置いている。世界国家の首都機能も、かつては小国の首都だったこの美しい都市に置かれており、レディ・アンの執務室の窓からは、未明の今もなお煌々と明かりが灯る大統領府を眺めることができた。
「部長、まだおられましたか」
扉を開けて入ってきたルクレツィア・ノインは、内務服のレディの姿をデスクの向こうに認めると、踵を鳴らして敬礼の姿勢をとった。ただし、スペシャルズで仕込まれたそれではなく、制服の着こなしと同じ、やや崩れた形だ。
「失礼ながら、少し仮眠を取られてもよろしいのではありませんか?」
社交辞令的な中にもわずかに気遣わしさをにじませて、ノインは言う。しかしレディはそれに首を振った。
「報告を待っていたのだ。さっそくだが、聞こう」
「はっ。例の船ですが、現地時間一七〇〇に出港したと、現地から報告がありました。どうやら、メッセンジャーも同乗しているようです」
対してレディは、軍人時代そのままの厳しい表情でうなずく。
「やはり行ったか。偽装工作はどうか?」
「航路計画についてはこちらの指示通りにされています」
戦争が終わって四ヶ月あまり、彼女らは地球圏内の表沙汰にできない戦後処理を請け負うための諜報組織を組織しつつあった。その組織の名を、地球圏統一国家情報部。通称を『火消し』あるいは『プリベンター』という。
 プリベンターの仕事とは、通称そのままに、地球圏の平和維持活動のための情報収集および工作である。
「監視衛星の処理については、セクションから問題なく続行中との報告が出ています」
プリベンターには情報戦の精鋭が揃っている。該当地域の上空を通過する、気象観測等地上にセンサを向けている衛星をハッキングしてデータを操作することで敵への情報漏洩を防ぐことができる。また、GPSのノイズ比を増大させ、当該地域での行動を妨害することも、組織に与えられた権限をもってすれば可能である。
「結構」
レディはしかし、悪い知らせをノインたち部下に伝えなければならなかった。
「ノイン、不安要素が表れつつあるようだ。サリィ・ポォから連絡があった」
「何でしょうか」
「昨日、オーストラリア地区の旧連合ブリスベン基地で、廃棄処分待ちだったキャンサー及びリーオーが各数機、紛失していることがわかった。当該地区は我々の情報網が薄く、動きをトレースできていない」
プリベンターはまだ発足したばかりの組織だ。情報網、担当スタッフともに未カバーの地域、宙域は、カバーされているそれよりも圧倒的に多い。それは、これから数年の時間をかけて整備していかなくてはならない。
「場所が近い。気になりますね」
「今のところ、例の目標の回収についての動きは、我々が最も早いと思われる」
眉を曇らせるノインに、レディは言葉をつなぐ。
「盗難が起きた地区内で使用されることがもっとも可能性が高い。しかし、可能性は捨てきれない」
「レディ」
ノインはとうとう堪らなくなって、レディの言葉をさえぎって訊ねた。
「彼らはそのことを知っているのでしょうか?」
「まだ伝えていないが、彼に渡した暗号キーを使って通信することはできる」
「現時点の彼らには、複数のモビルスーツに対抗できる戦力がありません。彼らにガンダムの使用を禁じたのはあなたですか?」
「彼らは最初からそのリスクを承知している。その上で彼らはガンダムを使わないと決めたのだ」
レディはノインに向かって静かに言った。
「リスクが大きすぎます」
ノインはさらにいいつのる。
「今からでも遅くありません、盗難されたモビルスーツと渡り合える戦力を投入すべきです」
彼女が言った言葉の意味を、レディはすぐに察してわずかに顔色を変える。
「『あの機体』を使うというのか?」
「はい。あれ一機ならば、すぐに輸送体勢に入ることが可能です。投入許可をいただきたい」
「確かに、あれならば……しかし、あれは未調整だ。戦闘データがなく、赤子同然の動きしかできない上に、スペックは一号機と同じだ。あのゼクス・マーキスでも、乗りこなすのに相当の時間を要したモビルスーツを……」
「構いません。それから、輸送機一機の使用許可をいただきたい」
「ノイン……」
「レディ、本音を言えば、わたしはあの子たちが可愛いのです。地球圏から見れば、彼らは平和に不要な存在です。あなたにとっては、大勢いるうち、いつでも切り離せる手駒の一部です。でもわたしは、彼らを助けたいのです。どうか一時、彼らをすぐ近くから援護させてください」
「……いいだろう。そのように許可する」
「ありがとうございます」
素直に礼を述べるノインに、レディは『すぐに行け』と仕草だけで廊下を指し示す。
「以上だ。任務の完遂までの期間、各人には健闘を期待する」
「はっ!」
もう一度、今度は幾分晴れやかな表情で敬礼をし、ノインはレディの執務室を急ぎ足で出て、新たな任務へと向かった。

Chapter 4

 ファン・フェルナンデス諸島周辺海域は、穏やかに晴れていた。
 予定時刻とほとんど違わず作業海域に到着したサルベージ船は、引き揚げ準備作業の最中にある。
 サルベージと一口にいっても、海難救助、沈没船や作業機械の引き揚げなどと、その業務はさまざまだ。中でもデュオたちの専門は、小型船やモビルスーツの引き揚げだ。ハワードがいた頃には作業用モビルスーツや衛星の残骸の引き揚げが多かったとのことだが、戦後になってからは、今回のトールギスのように、沈没した軍用モビルスーツの引き揚げ依頼も増えた。
 また、宇宙にいた頃の習いで、デュオは頼まれもしないのに海上や海中の残骸を拾っては売りさばくという、スイーパーグループのような仕事もしていた。しかし、宇宙と違ってこれらが航路の妨害になることはほとんどなく、収入もよいわけではない。
 艫に設置されたクレーン二機それぞれに水中作業用モビルスーツが一機ずつ吊り下げられ、肩のすぐ下までを海水に浸している。モビルスーツのハッチはまだ開いていて、コクピットに座るパイロットの姿が船上からも見える。そのうちひとりは、僧衣にも見える黒い服の上に白い防寒ジャケットを羽織ったデュオだ。
「おーい、ヒイロ!」
 デュオはコクピットハッチから身を乗り出すと、彼の乗るモビルスーツからすぐ近くの甲板上にいながらも、他人顔で腕を組んで佇んでいるヒイロに手を振った。
「後は頼んだぞ、ノインに会ったらよろしくな」
聞いている、とでも言うように、ヒイロは無言でうなずいてみせる。
 デュオはそれを見届けると、パイロットシートに戻り、分厚い耐圧ハッチを閉めた。そうすると、ガンダムのそれよりもさらに狭い球形のコクピットの中に、デュオはたちまち独りきりになる。しかしこれが、彼の持てる技術を最大に生かせる仕事なのだ。
『一号機、準備完了』
開きっぱなしの通信回線から、もう一機のパイロットの声が聞こえてきた。海中では電波が極端に減衰するため、通常の無線が使えるのは今のうちだけだ。深海では、例えば母船と通信するには極超長波通信やケーブルをつないだブイアンテナ、機体同士の短距離通信には青緑光のレーザ通信などを用いる。
「二号機、準備完了」
デュオも同じように告げると、母船の通信室から応答が来た。
『準備完了、了解。一号機、二号機、ともに潜行開始せよ』
「了解、注水開始」
四基のメインバラストタンクに同時に注水が始まり、コクピットの内殻を通して、水流が生み出す振動と音が伝わってくる。
 やがて、ガクンと軽い衝撃があって、メインモニタに映っていた海面がゆっくりと近づき始めた。モビルスーツが浮力を捨て、クレーンがワイヤを伸ばし始めたことで、潜行が始まったのだ。ほどなく海面は目の前を通り過ぎ、ゆらゆらと光を湛えながら上方に遠ざかっていく。かわりに眼前に広がるのは、青で塗りつぶされた海中の世界だ。クレーンのものらしい機械音が、機体の表面を揺り動かすように響いてくる。
 サルベージ船の船底も通り過ぎ、三十メートルほど向こうに、向かい合う一号機の姿が見えた。同じようにワイヤーに吊られ、バラストタンクから排気しながら、デュオの二号機と同じ速度で下に向かっている。
 モビルスーツを吊り下げたワイヤはゆるゆると繰り出され続け、やがて二機は水面下百メートルに達した。すでに太陽光はほとんど届いておらず、探照灯をつけなければ何も見えない。迷わず探照灯のスイッチをひねる。
「メインタンク、各部耐圧、異常なし」
『一号機も異常なし』
『了解、ワイヤフックリリースせよ』
「了解、フック、リリース」
モビルスーツの肩に固定されていたワイヤの先端のフックが弾け、ワイヤが外れる。支えるもののなくなった機体は、バラストタンク内の浮力を微妙に調整しながら、今まで以上にゆっくりとした速度で潜行していく。
 水深計が順調に数字を増やしていく間、パイロットは基本的にすることがない。居眠りが許されるほど暇なわけではなく、モニタや電磁センサアレイ、機体のコンディションを表示する各種インジケータを凝視して、機体の内外に異常がないことを監視し続ける必要はある。それでも数百年前の潜水艇や無人作業ロボットのパイロットたちに比べれば、同じ単位時間内にこなさなければならない作業量は圧倒的に少なくなっている。ガンダムを駆って日常的に戦闘に明け暮れていたデュオにとって、作業的負荷としては何もしていないに等しい。
 やがてレーダーの中で、サルベージ船の影が次第に遠くなっていった。ワイヤを巻き上げ終えた母船が、浮上時の事故を避けるため、また引き揚げポイントを他に知られる可能性を低くするために、その場を離れたのだ。以後、船は引き揚げポイントから北のロビンソン・クルーソー島寄りの位置で、第一回の浮上まで待機することになっている。というのも、引き揚げが一度で終了するとは限らない。すでに座標はわかっているものの、目視でトールギスを発見することができなかったり、引き揚げ作業自体に失敗したりすれば、原因を特定し対策を講じてから再挑戦となるからだ。
 一週間前、ハワイの天文観測所が、モビルスーツの緊急信号と思われる信号を捉えたというのが、事のきっかけだったという。暗号の解析を担ったプリベンターは、それがトールギスの緊急救難信号であることを突き止めた。元々OZに在籍していたメンバーが多いからこそ、可能だったことだ。
 地球の大気圏に突入してくる物体にはいろいろある。彗星のちりや微小隕石、現代ではそれに加えて人間の生み出したスペースデブリもそうで、大気の上層で摩擦熱によって発光して流れ星となり、それでも燃え尽きなかったものは地表や海中に落下する。スペースデブリにもいろいろあるが、戦後は宇宙戦艦やモビルスーツといった、宇宙機動兵器の残骸がとみに増えた。これらはもともとが大気圏のすぐ外側で運用されていることが多いため、早いうちに摩擦によって高度が下がり、ついには軌道速度を維持できなくなって地球に落ちてくるのだ。
 ゼクス・マーキス、もといミリアルド・ピースクラフトが駆っていたトールギスもそのひとつだが、昨年にモビルドールの部隊と交戦して大破、消息不明となったとされている時期から今に至るまで、半年以上の時間が経っている。なぜ今更緊急信号が発信されたのか、正確な理由は不明だが、大破の衝撃で機能不全に陥っていたコンピュータ・通信系が、大気圏突入中に偶然回復したのではないかというのが有力な見方だった。
 天文観測所が最後に受信した信号から、トールギスはファン・フェルナンデス諸島の南沖合いに落下したことがわかった。着水以降の信号は捕捉されておらず、機体はそのまま海底に没したと思われた。
 プリベンターはこの機体の回収を決定し、実際の作業を回りくどいやり方でデュオたちに依頼してきた。プリベンター以外の組織が、トールギスの存在を察知することを恐れたからである。依頼された当人のデュオでさえ、依頼を請けた当初は、引き揚げる目標がトールギスの残骸であることを知らなかった。目標がトールギスであることを知っていたヒイロは、作業を請け負ったのがデュオであることは知らなかった。
 そこまでして回収する価値がトールギスにあるのかどうか、最初のうちデュオはわからなかった。何しろ彼はトールギスを直に見たことがないし、ヒイロが操るウイングガンダムやガンダムヘビーアームズと互角の戦いを繰り広げたという話をトロワから聞かされたくらいで、あとは映像上でしか、かの機体を知らないのだ。
 それに、超音速で海面に衝突する際の衝撃や、今もなお沈んでいる水深千五百メートルの水圧に、コンピュータが搭載されているコクピットシェルが耐えられるかどうかも不明だ。コクピット内部のロガーを格納しているブラックボックスはやたらと丈夫で、例えばガンダニュウム合金の一種を使っていれば、例え太陽表面に放り出しても壊れないと言われているが、デュオが独自にざっと計算してみたところ、トールギスのそれが無事で残っている確率は、多めに見積もって一割あるかないかといったところだった。
 九割方の確率で壊れているものを引き揚げようなんて馬鹿げている、とデュオは思った。しかし引き受けた当時はデュオはそのことを知らなかったし、先方が約束してくれた報酬は同じような他の仕事に比べて数倍という破格の額で、商才のなさに苦しんでいたデュオとしては、プリベンターからの仕事ということで相当のリスクを覚悟したものの、進んで引き受けざるを得なかった。
 もしくは、ヒイロが言うには、いかに低い確率であっても、万が一トールギスの機体の一部や戦闘記録がモビルスーツを新規に造りたがっている勢力に渡った場合、事態は馬鹿げているの一言では済まされなくなる―――と。なるほど、それならきっと逆の意味で価値があるのだろうと、デュオは最終的に納得したのだ。
 デュオが思いをめぐらせている間にも、水深はますます増していく。時折、異形の海棲生物が探照灯の明かりが照らしだすマリン・スノーの霧の中を通り過ぎていくが、デュオにはその名前がわからない。次に陸に上がったら生物図鑑を買おう、と彼は思う。名前がわかれば、宇宙空間の暗闇に似たこの世界も、きっと好きになれるに違いない。
 と、高解像度レーダーの片隅に海底らしき面が映り、もう海底がすぐそこにあることをデュオは知った。外部装甲にはすでに百五十気圧近い水圧がかかっていて、数パーセントはその体積が縮むという。
 ここは、ある意味では宇宙よりも過酷な環境なのだ。
「一号機、聞こえるか?」
レーダーで相棒のモビルスーツの位置を探り、そちらに向けてデュオはレーザー通信を介して呼びかけた。
「そろそろ海底が近いから、気をつけろよ」
『了解』
二機は同期してますます沈降速度を緩め、最後には海底から数十メートル離れた位置で停止した。それから、これまで以上にセンサ系を駆使して引き揚げる目標を探し始める。トールギスが自ら発した最後の座標信号を信頼していないわけではないし、付近の海流や地形などといった諸条件を考慮に入れてはいるが、あるはずの地点から数百メートルから数キロメートルも目標の位置がずれていることもよくある。無人ロボットや潜水艇に比べて機動力にすぐれるモビルスーツでも、一度の捜索で発見できるとは限らない。
『今日の夕飯はうまいもん出すって、コック長が言ってたぜ。とっとと見つけて早く上がろうや』
一号機のパイロットがデュオに向かって軽口を叩く。攻撃を受けるかもしれないというリスクは、彼もよく知っている。たぶん、デュオが必要以上に気に病んでいると思って、声をかけてくれたのだ。
「ああ、そうだな」
デュオは明るく言って、コクピット内の重苦しい空気を振り払った。
「育ち盛りの奴がひとり、増えてるからな。ぐずぐずしてたらなくなっちまうぞ」

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