オートマタ・ウォーリア

 何もかもが一瞬前までとは様子が違った。
 らしからぬ激しい不安に駆られ、ヒイロは周囲を見回そうとした。自らの頸から肩にかけてのアクチュエータが駆動し、ガンダニュウム合金の人工筋が伸縮する音楽的な旋律が聞こえる。自ら? それは常時コクピットから聞き慣れていたはずの音だが、訓練された彼の聴覚は、普段は聞き取れない成分が含まれていることを検出して違和感を感じさせた。超音波の領域が聞こえているのだ。
(何だ、これは?)
視覚にも変化が生じていた。見えるはずのない背後や上下が見え、普段意識するはずのない色彩が見え、見分けられるはずのない温度が見える。それらが同時に渾然と混じり合って、それを視界と名づけるにはあまりにも狂っている像に合成されている。ここがどこなのか、見えるものからは想像できない―――いや、想像せずともわかっている。
 ここは格納庫の中だ。コロニー・キャノン―――廃棄済みのコロニーを再生すると見せかけて、内部を一周する粒子加速施設を建造し、マスドライバを丸ごとバスター砲に置換した、リーブラ砲に比肩する威力を持つエネルギー兵器―――彼ら≠ヘ与えられた復興予算をその建造費用に使った―――を破壊するために乗り込んできた自分は、建設機械のファクトリーの格納庫にこの機体を見つけた。
 もはや存在するはずのないモビルスーツ、ウイングガンダムゼロを。
 ガンダニュウム製の装甲を纏う四肢、背に負う二対の広い翼。それは本来彼が駆る愛機ウイングゼロのものであって、彼のものではない。にも関わらず、それらがまるで自分の身体そのもののように思えるとは、何が起きたのだろうか。
(……俺は、ゼロに乗り込んだはずだ)
この無遠慮で容赦のない統合された感覚は、機体のセンシング情報をゼロシステムによって強制的に送り込まれる感覚と同一のものに思える。それどころか、より強力で直接的で、まるで自分の眼や耳が、高性能な機械のそれに置換されてしまったかのように感じるほどだ。
 であれば、自分はおそらく、ウイングゼロのコクピットにいるはずだが―――。
(違う……!)
ウイングゼロはこうではなかった、ゼロシステムはシステムが得た情報をパイロットの脳に直接送り込んではきたが、機体そのものと肉体がシンクロしていると感じるほどではなかった。それが今は、機体の知覚が自分の知覚そのものであり、それ以外―――パイロットが機内にいて感じるはずの感覚―――がすべて抜け落ちてしまっている。にも関わらず、機内にパイロットがいることだけはわかる。全く他人事のようだが。
(これでは戦えない)
ヒイロは即座に判断し、機体を放棄することに決めた。ウイングゼロを手に入れてもこの状態では、生身で対処した方がよほど先の見込みがある。
(降りなければ)
いつもそうしていたように、ヒイロはコンソールを操作して機体のモードを駐機モードに移行させ、コクピットシェルのハッチを開こうとした。しかし、その巨大な鋼の手はむなしく空を掴んだだけだった。
 瞬間、狭い格納庫の中に爆発的な閃光が生じて、ヒイロの眼と耳を奪い尽くした。

* * *

 ウイングゼロが咄嗟に左腕で頭部ユニットを庇ったのを見て、既視感のあるその動作にデュオの目は思わず釘付けになった。
「くそっ、一体何が起こってるんだ!?」
アストロスーツ姿の彼はそう吐き捨てると、思い切り床を蹴ってウイングゼロのコクピットに飛び移った。手持ちのチャフ・グレネードをありったけ爆発させ、ウイングゼロのセンサを無効化したのは彼だった。もともと大光量に強い光学カメラは一瞬で回復しただろうが、機外情報の多くをパイロットにスルーする通常のモビルスーツと異なり、膨大な情報の殆どを一度システム内部で処理するウイングゼロのパイロットにとっては、瞬時にほとんどの感覚を奪われたも同然であるに違いない。
 ヒイロが自分よりも先にコロニー・キャノンに潜入していることは知っていた。彼ならウイングゼロを見つければ、そのまま黙って見過ごすことはないだろうと思っていた―――仮に破壊しようとしても、コロニー・キャノンを破壊する程度の爆発力で、ウイングゼロを同時に破壊することなど不可能だからだ―――必ず、別に対処する必要がある。
 彼がウイングゼロを破壊するつもりで来たのか、持ち出すつもりだったのか、それはデュオにはわからない。しかし、今のウイングゼロの状態が明らかに常軌を逸していることはわかる。少なくとも、無人だとは思えない。
 コクピットに飛び移ったデュオはそのまま装甲表面を駆けて胸元のハッチにとりつき、強制開放レバーを力任せに捻る。バシュッと空気が洩れる音とともに、ハッチがスライドしてコクピット内部が露になる。デュオは中を覗き込み、アストロスーツを着てヘルメットをつけた小柄な人影を認めた。人影はシートに身体を預けたまま、ぐったりと意識を失くしているように見える。コントロールレバーから手が離れているはずなのに、機体は不安定に動き続けている!
「暴走してる、それともモビルドールか!? ええいっ」
代わりにコクピットに入って操縦することも考えたが、機体が暴走していて、それを修正する時間もないとなれば話は別だ。ヒイロはすでにコロニー・キャノンの各所に爆発物を仕掛けている可能性がある。本当に仕掛けたのか、あるいは爆発させるタイミングや爆薬の量もあるだろうが、ぐずぐずしていれば最悪の場合、キャノンもろともに宇宙の藻屑となってしまう危険がある。
「優先順位を間違ったな。全く……」
 デュオは意識のないヒイロの身体をコクピットから引きずり出して荷物のように背中に背負うと、無重力下特有の直線的な跳躍で天井まで跳んだ。天井を蹴った勢いで方向を変え、天井すれすれに設置された換気口に飛び込む。
 その直後、ウイングゼロ一機が取り残された空間に、無数のモビルドールが一斉に雪崩れ込んできた。

* * *

 数日後、デュオはシャトルを駆って再びコロニー・キャノンへと向かっていた。
 前回は民間の輸送業者を偽ってコロニー・キャノンに潜入することに成功したが、同じ手は何度も使えない。いまやコロニー・キャノンは、偽装を放棄して真の姿をあらわし、その砲口を一.〇光秒、約三十万キロメートル彼方の地球表面に向けている。キャノンの周囲には漆黒のモビルドール、ビルゴUの部隊が展開していて、迂闊に近づける状態ではなくなっている。内部で破壊工作が実行されたという情報は入って来ない。
 その只中に乗り込んでいくには、小回りの利く高速艇を使うしかない。ジャミングを発生させ、モビルドールが反応できない隙を狙って包囲網を突破する以外に方法はないのだ。
「こんなことになるなら、まだガンダムを捨てるべきじゃなかったな……あ?」
バイザーの下でぼやくデュオは、何かが聴覚に引っかかってきたような気がして不意に首を傾げた。丸い目を瞬かせ、狭いシャトルのコクピットを見回す。
 誰もいない。シャトルの通信機は何も受信していない。しかしデュオは、確かに誰かの気配を感じたように思えてならなかった。ならば、アストロスーツの通信機か?
 アストロスーツの内蔵通信機は、通信を受けると自動的に電源が入るようになっている。デュオはヘルメットに手をやって通信機のステータスを探り、電源が入っていることに気づいた。何者かが通信機のプロトコルを知っていて、彼に通信を繋いできたことはもはや明らかだった。
「誰か、俺を呼んだか?」
デュオは躊躇いながらも声に出し、通信機の向こうにいるはずの相手に呼びかけた。

* * *

 ヒイロは自分の肉体がコクピットから引きずり出される光景を目撃して愕然とした。
 正確には、目撃したわけではない。何者かがコクピットハッチを手動で開放し、中にいたパイロットがいなくなったことを身体的な感覚で知ったのだ。
 連れ去られたあれが自分ならば、今あるこの意識は誰のものなのか?
 モビルドールに取り囲まれたヒイロは咄嗟に無抵抗を貫いた、あるいは無人の機体であることを演じたおかげで、何の攻撃も受けずに済んだ。
 独り取り残された暗闇の中で、彼は自問自答した。おそらく侵入者に発見されたという理由で場所こそ移されたが、彼にはどうすることもできなかった。彼にはいまだに正常な視覚も聴覚もなく、また機体を拘束されてまともに動ける状態ではなかった。
 混乱のままに数時間が過ぎた。もしかするとそれは数日間だったのかもしれないが、時間の概念さえ混濁したヒイロにとって、正確な時間は意味をなさなかった。
(誰かに知らせなければ)
十数年の人生で、切実にそう思ったのは初めてだった。ヒイロは未だかつて他人を当てにしたことはなく、大抵は自分の力だけで困難を切り開いてきた。彼にはそうできるだけの能力があった。生身であった頃の自分には。
(誰かに……、しかし、知らせてどうするのだ? 何を知らせればいい?)
自分がここにいるということを? ウイングゼロという牢獄に囚われていることを? ウイングゼロという破壊すべき目標がここにあるということを?
 最後が一番正しい、とヒイロは思った。
 自分が何者になってしまったのかはどうでもいい。彼は半ば無意識にそう思い込もうと努めた。少なくとも、ウイングゼロは二度とこの世に存在してはならないのだから、それを優先すべきなのだ。コロニー・キャノンの破壊と同じくらいに。
 ヒイロが真っ先に思い出したのは、コクピットから自分を連れて脱出した何者かの存在だった。彼は自分と同じように、自発的な任務を抱いてこのコロニー・キャノンにやってきた。ならば、彼は必ずもう一度やってくるはずだ。キャノンの完全な破壊と、このウイングゼロの破壊のために。そのような危険な任務に単独で挑む者など、ヒイロはほんの一握りの人間しか知らない。ガンダムのパイロットたちだ。
 彼らが通信によく利用していた周波数は、暗号鍵とともによく覚えている。通信回線を開くことさえできれば、連絡を取ることができるかもしれない。
 ヒイロは躍起になって自分の意識の周辺を探ろうとした。彼の意思に従ってウイングゼロの機体そのものが動くのだから、通信機能を使うこともできるはずなのだ。
 生身の身体にはない機能の糸口を掴むには時間がかかった。その作業は大雑把に例えると、雑多な物が詰まったポケットに手を入れて、触感だけで目当てのものを探すのに似ていた。あるいはマニュアルも読まずに複雑な装置の取り扱いを試すことにも似ていた。その過程で自分自身を極限まで客観化していき、自分の意識とシステムの間に一定の経路が存在していることに気づいたおかげで、ヒイロはようやくシステム側の機能のいくつかへのアクセスに成功した。その中には外部への通信機能も含まれている。
 一度アクセスすることさえできれば、あとはそう難しくはない。人間であればパネルやスイッチを仲立ちにするところを直接思考で操作できるのだから、むしろ簡単であるといってもよかった。
 モビルスーツの無線の出力はごく弱く、宇宙であっても数千キロメートルの範囲に届かせるのがやっとだ。信号を送ったところでそうそう反応はなかった。それでもヒイロは待った。

* * *

 長い時間が経った後、ようやく応答が来た。
『……誰か、』
生の音では決して聞き取ることができなかった人間の声を、ヒイロは初めてはっきりと聞き取った。通信機は情報量を圧縮するために、可聴域以外の音声を遮蔽しているからだ。
『俺を呼んだか?』
今となっては懐かしいとさえ思える声が聞こえた。ヒイロは思わずその声の持ち主の名を呟きそうになり、現在の自分には発声器官などありはしないことに思い至った。
(デュオ)
その名前を呼びたいと、ヒイロは切望した。もどかしさを胸に抱き、踏み入れたばかりのシステム領域の中で、通信機に音声を出力するドライバがありはしないかと真剣になって捜した。しかし、元々モビルスーツに人語で会話する機能など搭載されているわけがない。
『この回線を使ってくるってことは、間違い電話なんかじゃないんだろ』
回線の向こうで、デュオが苛立たしげに言っている。
『こっちはこれでも取り込み中だったりするんだぜ』
それはわかっている。通信が届いているということは、彼はこのコロニー・キャノンの近くまで来ているのだ。
 ヒイロは一旦音声を諦めてプロトコルを切り換え、短い通信文を綴って送信した。
デュオ、俺はコロニー・キャノンの内部にいる
一瞬、デュオが息を呑む気配が伝わってきて、ヒイロは柄にもない緊張を感じる。あるいはそれは不吉な予感を抱いたからかもしれない。
『……えーと、もしかして、ヒイロ?』
戸惑いがちに、恐る恐るといった風情で、デュオが訊ねてくる。
そうだ。だが正直なところ、自信はない
『お前はL1の病院で寝てるはずだ』デュオもまた自信なさげに呟くのが聞こえた。『俺が出てくる直前まで意識がなくって、まさか追い越せるはずがない……』
身体がここにないことはわかっている。前にお前が脱出させたのだろう
『おい、オカルトは勘弁してくれよ』彼は大げさに怖がるふりをして、『お前は何でもできると思ってたけど、まさか幽体離脱だの憑依だのまでできるなんて思いもよらなかったぜ。それとも―――あ、』一気にまくし立て、その後何かを思い出したかのように急に押し黙った。
俺は幽霊でも生霊でもないし、ましてや偽者でもないつもりだとヒイロは主張したかったが、その思いを抑え込み、努めて冷静に文章を綴ろうとした。
主観的には、俺はウイングゼロと同化してしまったように思える
そう表現すると、自分の存在がいよいよ怪しく不確かなものに思えてきて、気が滅入りそうになる。俺は覚めない夢を見ているのか?
『オーケイ、わかった』
彼の心情を敏感に察したのか、デュオはそれ以上追及しようとしなかった。あるいはコロニーへの突入を前にして、複雑なことを考えたくなかったのかもしれない。
『それで、魂がウイングゼロに乗り移ったお前は、俺に何を知らせたかったんだ?』
コロニー・キャノンの破壊は俺の任務でもある
『俺だけが片付けるのが気に食わないから、手伝わせろってわけだ』
皮肉げなデュオの言葉には反論せず、ヒイロは書いた。彼にはやり残したことがある。
それだけじゃない。お前に頼みたいことがある
『何だ?』
このゼロには自爆装置がないようだ。だから、お前が破壊しろ
淡々とした感情のこもらない文字列を前に、デュオは虚を突かれたように黙り込んだ。

* * *

『ヒイロ、聞こえるか。今、近くにいる』
再び通信が繋がったのは、最初の交信から約二時間後だった。息が荒く弾み、肺から空気を搾り出して声を出しているようにヒイロには聞こえた。ただ疲れているだけとは思えない。
『たぶん、隣のブロックまで来てる。お前はどうだ?』
無線の解読をしていた
ヒイロらしいと言えばヒイロらしい、ごく短いメッセージがバイザー内蔵のヘッドアップディスプレイに投影される。プリセットの字体の味気の無ささえ、彼の人柄を示しているような気がして、デュオは脇腹の激痛を一瞬忘れて苦笑を漏らした。
 ヒイロが単純に敵の通信傍受だけを楽しむ性格とは思えない。案の定、続けてメッセージがディスプレイに踊った。
多少は敵の行動を妨害できたはずだ
デュオが任務を実行している間、無為に過ごしているのは、ヒイロにはもはや苦痛だった。通信機能をコントロールできるようになったのは、デュオとのコンタクトを切望したからだ。彼は得た能力を最大限に活用して、無線による情報収集と敵の指揮系統の妨害工作を実行した。傍受する限り、成果はそれなりに上がったと見てよさそうだった。
「そりゃ、どうも」
デュオは素直に感謝の言葉を口にした。押さえたアストロスーツの脇腹が赤黒く染まり、染み込みきれない血液が小さな玉になっていくつも辺りに漂い出している。とても隠れてなどいられない。
負傷したのか?
「かすっただけだ、多分内臓には行ってないから心配すんな。援護してくれてたんだろ。礼を言っとく」
でなきゃ多分死んでる、と心の中でデュオは付け加える。流血を隠せない状態で周囲が無人であることは、単純にありがたい。
「キャノン部分への爆発物のセットは全部終わってる」
ディスプレイの隅の時刻表示にちらりと目を落としてデュオは言った。
「ゼロアワーまであと五分ちょっとってところだ」
どうするつもりだ?
ヒイロは問うた。彼にはここから宇宙港への距離はわからないが、五分そこそこで辿り着ける距離とも思えない。
「お前に乗って逃げる」
どうせそっちには行くつもりだったんだと言わんばかりの口調でデュオが言う。
「いろいろ考えたけど。万が一爆破に巻き込まれても、その装甲なら大抵のダメージには耐えられるだろ。一番安全な手だ」
だが、
「残りの話は後だ」デュオはヒイロの声なき言葉を遮り、「すぐ動けるか? そうでないなら起動準備が要る」
この機体はハンガーに拘束されている
彼の要求に応じてヒイロは告げた。
電磁錠の解除が必要だ。管制コントロール側から解除指令を出せば、ロックが解除される仕組みになっている
なぜそんな知識がすらすらと自分の中から出てくるのか? かすかな疑問を覚えつつ彼は続ける。
セキュリティ上の仕組みから、こちらからのハックは不可能だ。任せる
『了解!』
威勢のよい返事とともに、床を勢いよく蹴る音が聞こえてきた。

* * *

 デュオのアストロスーツの内蔵時計と同期させたカウントダウンは残り五分を切った。
 ヒイロは全神経を傾けて、自分の中のシステムチェックに入る。我ながらだんだん人間離れしてきたような気がするが、そうも言っていられる場合ではない。
 センサー系に異常はない。可視外光線も電磁波も温度感知も一緒くたになった全周視界にも慣れてきた。少なくとも、一見ヒイロの意識にはグロテスクに感じられても、その正体をシステムが親切に教えてくれる。駆動系、推進系も正常。推進剤はかなり少ないが、L1内を航行する分には何とかなる量だ。武装については、マシンキャノンとビームサーベルは装備されているが、主武装のツインバスターライフルが存在しない。製作技術がなかったのだろうか。
 残り時間は三分を切った。
 管制から有線で何か大きなファイルが送り込まれてきた。この時間がないときに? ヒイロはファイルを阻止しようとしたが、実行プライオリティがヒイロ自身よりも高く設定されているらしく、彼の意図に反してシステムがファイルを展開し、ヒイロの意識領域の一部を上書きしようとする。
 実行されるその瞬間、ファイルの正体をヒイロは悟った。

OZ-13MSX2 Tactical Patterning System For XXXG-00W0

(メリクリウス、だと? 俺の戦闘データか!?)
額面通りに受け取れば、これはかつてヒイロがOZに提供したメリクリウスでの戦闘データを基に、ウイングゼロ用に調整したモビルドールプログラムだ。
(このコロニー・キャノンを建造した連中は、俺のデータを載せたウイングゼロのモビルドールを作っていたのか?)
確かに、ここの警備はほとんどモビルドールに頼りきっている。ましてや、乗り手を選ぶウイングゼロとゼロシステムを、並大抵のパイロットが使いこなせるわけがない。モビルドール化されている方がよほど自然だ。

MOBILE-DOLL Mass Control System Version 'ZERO' Started
Safety Catch, Released

ガクン、と背後で鈍い金属音が響き、電磁錠が外れた。ヒイロはゆっくりと一歩を踏み出し、床に屈み込んで片膝をついた。格納庫に駆け込んでくる小さな人影がレーダーに映る。モビルスーツとしての感覚に慣れてしまった今では、身長十センチあまりの小人のようにしか感じられない。内臓も骨格も透けて見え、その点については今でも違和感が残る。
 残り二分。
「ヒイロ!」
負傷を抱えてよろめき走るデュオの背後から火線が走った。ヒイロは咄嗟に手を差し出し、加熱した銃弾からデュオの身体を庇った。そのまま掬い上げて自分の胸の上に持って行くと、デュオは自分からコクピットの中に飛び込み、ハッチを閉める。
「俺が操縦した方がいいのか!?」
コクピットからデュオが怒鳴った。
暫くは俺が対応する、掴まっていろ
コクピットのディスプレイに文字を送りつけ、ヒイロは背中からビームサーベルを引き抜いた。装甲に対人用の拳銃の銃弾が雨霰のように降り注ぐが、皮膚をくすぐる程度の刺激にしか感じられない。構わず蛍光色に光る刀身を壁に叩きつけた瞬間、格納庫に猛烈な風が巻き起こった。
 裂け目の向こう、真空の宇宙空間が機械の眼に映る。
 ヒイロは灼熱する壁を無理矢理に引き裂き、コロニー・キャノンの外へと機体を躍らせた。肉眼には漆黒としか映らない空間を、無数の星々の光が埋め尽くして照らし出しているのが見える。赤く灼けた金属に熱を感じたように、装甲表面のセンサーは真空の絶対四度と太陽がもたらす熱を等しく知覚する。開いた二対の翼は自分の意志のままに動く。どれも人間とはまるで異なる感じ方だ。
 残り一分を切った。
「後方から反応!」
コクピットにいてレーダーを見ているらしいデュオが告げる。言われるまでもなく、ヒイロもそれを把握している。宇宙に溶け込むような黒い機体のモビルドール―――あれはビルゴUだ。赤く塗装されたプラネイト・ディフェンサー六基とガンダニュウム製の装甲、強力なビームライフルを装備している。
(マスコントロールシステムとやらは、恐らく効かないだろう)
背後から迫る幾本もの光条を、ヒイロは翼を閃かせていともあっさりとかわす。攻撃を先読みするゼロシステムの影響も少なくないが、彼の思考と直結した機体の反応速度は並大抵のものではない。今の速度に比べれば、随意筋を使った通常の操縦システムはおろか、脳内の生体作用の走査によるコントロールさえうんざりするほど遅く思えるはずだ。
 しかしその圧倒的な反応速度は十六メートルあまりの巨体の慣性に阻まれる。機体を振った勢いを止められず、ヒイロは反射的に全力でスラスタを噴かして姿勢を戻そうとした。
 途端にコクピットの中で低くくぐもった呻き声が上がる。常人に比べて並外れて身体が丈夫であっても、負傷を抱えた今のデュオでは彼の加速に耐えられないのだ。怪我人を内部に抱えたままで、全力で戦闘を行うのが危険であることに、ようやくヒイロは思い至る。
「ヒイロ、この状況で交戦は不利だ」
デュオが言った。ヒイロが高性能すぎる機体を操るのに逆に苦労していることを、彼なりに察したのだ。
「コロニー・キャノンが爆発すれば、あいつらの管制機能も喪失するはずだ。各個撃破はそれからでも遅くない」
了解した
カウントダウンの数字がゼロを表示し、ウイングゼロが咄嗟に翼を展開させて防御の姿勢を取る。

* * *

 月を背景にして浮かぶコロニー・キャノンのシルエットが、その内部から光を孕んで白く膨れ上がる。
 その一瞬後には、長大なキャノン砲が端から炎に包まれていき、数十秒後には完全に爆炎の中に飲み込まれた。

* * *

 ウイングゼロはL1宙域を巡航速度で飛翔する。そのコクピットではデュオが寝息を立てている。痛み止めに射った鎮痛剤が効いているのだ。
 アストロスーツの通信機が、ピッとかすかな電子音を不意に発した。目を覚ましたデュオは低い声で何事かを話している。盗聴しようと思えばヒイロにはできたが、せずとも内容は想像できた。多分、デュオにとって喜ばしい知らせだろう。
 自分にとってはどうか?
「もう一人のお前が、目を覚ましたんだってさ」
通信を切ったデュオは顔を上げて言った。恐らくは相手の顔を見てものを言いたかったのだろうが、どこを見ていいかわからず、装甲の外のウイングゼロの頭部ユニットをとりあえずは仮想的な顔に定めたようだった。
「怪我はしてるけど、ここに乗り込んだ直後までの記憶はあるようだし。じゃあ、お前は一体何なんだろうな?」
俺もまた、ヒイロ・ユイのつもりだ―――そう言いたい衝動に耐えて、ヒイロは現実を直視しようと努めた。彼の性格は幸い、そうすることには向いている。
俺は、恐らくは、ただのプログラムとデータの集合体だ
ヒイロはコクピットのディスプレイに言葉を綴った。
俺の―――オリジナルのヒイロ・ユイの戦闘データを組み込んだモビルドール・システム、搭乗時の思考と一部記憶のデータ、情報の統合制御を行うゼロシステム。これらから構成された擬似人格に過ぎない、と推測される
デュオはただただ絶句して、ぽかんと天井を見上げている。
「……そんなんでいいのか? ヒイロ?」
数分の沈黙の後、やっとのことで、デュオはそれだけを言った。
違う、俺はヒイロではない
デュオは自分のことをまだヒイロと呼ぶ。そのことが嬉しくも苦しくもあって、ヒイロは胸を押さえたい衝動に駆られる。今の自分には、そんな機能は存在しないはずなのに。
偶然に組み上がったヒイロ・ユイの残骸に過ぎない。俺はただのプログラムだ
「嘘をつくんじゃない!」
デュオはコクピットの中で立ち上がって叫んだ。ヒイロは時々、ほんの少しばかり饒舌になる。隠し事をしているときはそうなのだ。付き合いの長いデュオたちガンダムパイロットには、それがわかる。
本当のことだ
ヒイロが苦しい下から言った言葉は、デュオによってあっさりと蹴飛ばされる。
「ホントかどうかは関係ないだろ、あんたはヒイロだ。少なくとも、そう思いたがってる」
その通りだ―――ヒイロは押し黙るより他になかった。自分はヒイロであるという意識が、他のガンダムパイロットを求めた。ヒイロとしての判断が、デュオとのコンタクトに結びついた。あくまでもヒイロとして行動した結果、デュオとの協力によってオリジナルが果たし得なかった任務を成し遂げた。
確かにヒイロはゆっくりと文字を綴った。ウイングゼロのスペックを引き出すことができたのは、お前の声を聞いたからだ。ヒイロとしての俺は、ただ、本当に、
「なら、それでいいじゃないか」
ヘルメットを脱ぎ、分厚いアストロスーツを脱いで、デュオはパイロットシートにふわりと身体を預けた。シートに埋め込まれたセンサーが、彼の体温を、脈拍を、呼吸を逐一伝えてくる。それをウイングゼロのモニタリング機能は単に「負傷による発熱と呼吸亢進を認む」と判断したが、ヒイロは温かい、と感じた。
 そうして、ようやく理解する。自分は、ただ、誰かに―――デュオに触れたくて、その一心でここまで来たのだ。
 過去も今も、そうすることで、己が何者であるかを知ったのだから。

* * *

「よう、相棒」
乗組員がたった一人の小さな貨物船のフライト・デッキに乗り込んできた船長は、かすかに待機光を瞬かせる無人のコンソールに向かって、親しい人間がまるでそこにいるかのように片手を挙げた。それに応えてディスプレイに発光文字が現れる。
本船の出港準備は既に完了している
操縦席についたデュオはそのメッセージを受けて航行システムの起動準備に入る。フライト・デッキ前面に展開するコンソールに次々と光が甦り、貨物船は宇宙駆ける船としての息吹を取り戻す。
「今回の荷物はなかなかの貴重品だからな。事故らないように気をつけようぜ」
了解した。お前はいつもそう言うが
宇宙船の統合管理コンピュータらしからぬ生真面目なメッセージに、年若い船長はただ苦笑とともに、肩をすくめて応える。
「ま、それが仕事だからな」

* * *

 半年前のあの日、自分を破壊して欲しいと願った一体の機動兵器に、デュオは言った。
「もしお前がこれ以上の戦いを望むってんなら、例えヒイロのコピーだろうと俺はお前を破壊するだろう。でも、お前はもうただの兵器じゃない」
お前には意志があるんだから、自分で好きなように決めればいいと彼は言った。
 彼は悩み、やがて結論を下した。
 その身体はもはや、かつて『最強の中の最強』と謳われたモビルスーツではない。武装はもちろんのこと、最新式のエンジンすら載っていない中古民間船に過ぎず、彼自身は船の統合管理コンピュータでしかない。もっとも、単なる管理コンピュータとしては相当なオーバースペックであり、その電気使用量の過剰ぶりは地味に船長を悩ませているようだが、そのことを不満に思っている様子はなさそうだ。
 現状に彼は満足している。元々偶然のバランスから生まれた彼の存在は砂上の楼閣に等しく、いつどんなきっかけで崩壊するかは本人にもわからない。新しく追加された機能群に押しやられるように、戦闘データもマスコントロールシステムも意識領域の奥底に沈み込んでしまった。多分、二度と浮かび上がってくることはないだろうし、彼自身もそう願っている。
 船の身体を得てからというもの、彼は多くの人々に会ってきた。ごく一部の勘のよい者を除いて、ほとんどの人間は彼の存在に気づかない。それでも、彼らに会う度に自分が変わっていくことがわかる。完全ではなかった記憶に書き足しがなされ、思考の幅が広がり、多くを失った代わりに多くを得た。いまや自分はオリジナルとは程遠い存在になってしまったが、生身を持つオリジナルとて願ったことは同じであるに違いない。
 デュオは今でも彼を本人であるかのように接してくれるが、一方でオリジナルに会う機会もたまにあるらしいと聞いた。
「そのうち、お前にも会わせてやるよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべてデュオは言うが、それはさすがに勘弁して欲しい、と彼は思っている。それでももし会えば、きっと何かが変わるだろう。望んだ方向にばかり変化が訪れるとは限らないが、しかしそれこそが自分たちが選んだ生き方なのだ。

[Fin.]

オートマタ=Automata=自動人形=モビルドールということで。ガンダムW本編を見ていた頃は、ウイングゼロには意志のようなものが宿っているのだと思いこんでいました。ヒイロが乗っていなくてもアイセンサーが作動していたりする描写があったし。
このお話は、昨年末、人様のチャットにてW本編の熱い考証談義で盛り上がったことがありまして、そのときに出てきたヨタ話をきっかけに書かれました。EVOLVE../7+Z.O.E Dolores,i=デュオが好きでけなげな巨大ロボピイロ(危険物)が爆誕。本人はさっぱり出てこないので、この場合ピイロという呼称がもっともふさわしいように思われます(笑)
まあ、オリジナルが出てきたら、デュオもリリーナも彼に取られてしまうのは明白なわけで、そのへんを突っ込んで書くと切ないことになってしまいそうなので、今回はこの辺で逃げます。