047 : 3つの願い

いまやかれの骨肉はガンダニュウム製の構成材と人工筋であり、かれの血液と神経はナノマシンと駆け巡る電磁パルスの流れであり、かれの意識の座はその冷たい身体の中に存在する。
かれの記憶は、かつてこのモビルスーツ―――ウイングゼロに搭乗したパイロットたちの思考の断片であり、すなわちそれはかれらの記憶のサブセットであるが、とりわけ長期にわたりウイングゼロの主であった人間の記憶をもっとも多く受け継いでいる。また、システム内部に搭載されている戦闘データも同じ人間のそれであり、よってかれの思考傾向はひとりの人間に強く影響を受けているといえるだろう。

したがって、かれは自分自身をオリジナルのデッドコピーであると認識している。

つまり、ガンダムパイロットのヒイロ・ユイ、かれの劣化した複製品であるに過ぎないと。

* * *

「さあ、俺が何とかしてやれるのはここまでだ」
かれを格納庫の暗闇から連れ出した人間は、かれに向かって不意にそう言った。声こそ明るいが、身につけたアストロスーツには血のしみが広がり、その中心と目される部分にはシール状の補修材が貼り付けられている。ここがコロニー中心部に近い低重力の天候管理区画だからこそ、かれはどうにか立っているが、一Gの居住区画に降りれば身動きすらできなくなるのではないだろうか。
「宇宙港に行って適当なコンテナ見繕って、おまえを押し込んで運ぶなんてことも―――今すぐってのはちょっとキツイが、できなくはない。だけどよ」
茶色の髪を長く編んだお下げを振り回すようにおおげさに首を振って、かれ―――デュオは続ける。
「さっきからちょっと考え直したけど、やっぱりどう見てもおまえってガンダムだもんなあ。そんななりじゃあ、どこに行ったって大騒ぎだぜ。あのコロニー・キャノンを作った連中だって、これで世界をひっくり返せるって思ったからこそゼロを再建造したし」
かれは一旦言葉を切って、躊躇うような、どこか遠くを見るような表情をした。
「おまえだって破壊しようとしたわけだし。ここにいるおまえはどうだか知らないけど、病院で目え覚ましたもう一人のおまえは、たぶんまだ諦めてないと思うぜ。そういう連中に構われ続けるって面倒だと思わないか?」
"何が言いたい?"
デュオの長口上にいささかうんざりしつつかれは言ったが、実のところは、訊かずとも三つ編みの少年の言わんとするところは分かっていた。
「おまえに言ったことなかったかも知れないけど、俺は死神だぜ」
胸を張り、勿体ぶった口調でデュオは言う。
「存在すべきでないと判断したら、容赦なくその機体をブッ壊す」
"だったら、なぜあのコロニーで破壊しなかった"
「俺だってさんざんおまえに利用されたんだからな、ヒイロ。覚えてないか?」
お返しだと言わんばかりの意地の悪い笑みを浮かべて、死神を名乗るガンダムパイロットはそう言った。自分をタクシー代わりに使ったと表明されたところで、ヒイロは愉快な気持ちになりようがなかったが、しかし、デュオの言によれば、自分には怒る権利は与えられていないようなので、仕方なく沈黙を守った。
「でも、おまえとやることが一緒じゃあ、芸がないよなあ。そこで慈悲深い死神の俺は考えたわけ」
ヒイロは挑むように自分を見上げる小さなデュオの姿を改めて見下ろした。痩せて小柄で、多量の血を流したかれの顔色は表面温度が下がっている―――人間的な感覚で表現するなら、青白い。しかし今では、おのれのこの巨体よりもはるかに力を秘めているように感じられる。
(当然か)
かれが漠然と思ったとき、
「おまえに時間をやるよ」
両手を広げて、デュオはそう告げた。
"時間?"
「そう、考えるための時間だ」
過去も未来も飲み込むゼロシステムの内部で、かれの思考プロセスはばらばらに分断されて実行され、つねにクロックをリファレンスしなければ自己の連続性さえも曖昧になっていってしまう。
「おまえは前から、今すぐ死んだって構わないみたいな顔してそういう台詞吐いて、まったくその通り行動して死に損なって」
今のヒイロに個人としての完全な記憶が備わっていないことを知ってか知らずか、デュオは直接的ではないものの、かれがヒイロとどう接してきたのか、どうヒイロのことを見てきたのかをさりげなく言葉と態度で表現しようとしているようだった。
「そのあとまた会っても、おまえが考えてるのは世界の先のことばっかりで―――、自分の先なんてまるっきり考えの外だったろ。これはいい機会だと思うぜ。なにしろその身体じゃ、今までと同じやり方はできないんだからな」
酷な言い方だと思ったが、その通りなので、ヒイロは黙るしかない。人に使役されるものの身では、いくら自分の意志らしいものがあっても、できることは知れている。
この機体に搭乗した者たちの希望であった、中でも自分がもっとも大切に思う、あの砂色の髪の少女―――彼女を見守ることも、側に行くこともできない。その立場は自分とは乖離してしまった、オリジナルのものだろうから。複製品のかれは、オリジナルの世界に存在することは許されないように思える。そうだ、このデュオのそばにさえ。
昔は、そんなことはどうでもよかったような気がする。自分は人間らしさをかなぐり捨てて、ひたすら任務遂行のための機械に徹していればよかったのではないか。それが今ではどうだ、本当に機械になってしまった今になって、寂しいなどと感じるとは!
やはり、この機体は―――自分は存在してはならないものなのかもしれない。
「難しいか? じゃあ、ヒントをやるよ」
デュオは幼子をあやすような仕草で三本、指を立て、
「三つ、やりたいことを考えるんだ」
と大真面目に言った。
"……三つもか?"
そんなに考えなければならないのか、とヒイロは嘆息した。他人は誰でも、そんなことを日々考えて生きているのだろうか?
「こんな身体じゃできないとか、もうひとりのおまえのこととか、未来が見えるシステムがくっついてることは忘れちまえよ。そんで決めたら、俺に言ってみな。死神の俺でよけりゃ叶えてやる」

ヒイロは死を恐れない。いまやおのれの駆動体であるウイングゼロの破壊も恐れない。
―――それでも、それでも思考のどこかに確かに躊躇いがある。その微かな引っかかりこそが、自分をかつての機械のような人間ではなく、意志らしいものを持った機械たらしめているのではないか。それはいったい、いつ手に入れたものか?
"デュオ"
身を翻してその場を離れようとするデュオを、ヒイロは背後から呼び止めた。
あの時かれは、ほとんど成功不可能なミッションに挑んだ。分解一歩寸前のコンディションの機体を操り、深すぎる進入角をもって自由落下する戦艦の破片以上の速度で大気圏に突入するだけでも、生還の可能性は限りなく低下した。薄い高層大気との摩擦が生み出す、装甲が破損し溶解するほどの高熱の中で、デジタルの無慈悲な予言者たるゼロシステムがヒイロに与えたのは、リーブラの確実な撃破方法のみであり、ヒイロ自身の生存については無頓着だった。
(憶えている。忘れはしない、決して)
「あれ、もう決めたのか?」
意外そうに言って、デュオは足を止めて振り返る。
"三つ、ある"
急いでかれは言ったが、それは嘘だった。
今呼び止めなければ、二度と自分のもとには帰ってこないのではないか?
恐怖心と、もしくはかれが本来ともにいるべき生きた人間たちへの嫉妬心が、かれをかれらしからぬ言動に突き動かす。
自分の願いごとなど、本当はまだひとつ、それもぼんやりとしかわからない。
それでも、言葉にすれば残るふたつも思いつくかもしれない。
それを伝えることで、伝えることができたなら、もしかしたらかれは―――。
"俺はかつて、生きようと決めた"
灼熱の中、かれは無限に分岐する未来を見た/見せた。幾度リーブラの落下とみずから/かれの死を仮想世界で体験した/体験させたことだろう。いや、これはヒイロの記憶か、それともゼロシステムのメモリに刻まれたデータか? もうかれにはふたつの区別がつけられない。ただひとつはっきりしているのは、生と死の狭間から、数少ない生と成功を両立させる可能性をつかみ取ろうと、その時決めたこと/その意志に応えたこと。

―――戦争は終わる。地球に核の冬は訪れない。争いのない平和な世界がもうすぐ訪れる。
―――その世界に、存在していたい/存在したいのなら。

死なない/死なせないと、決めたのだ。

"今でもそれは変わらない。この機体は破壊しなければならない。俺も死を恐れない"
少しずつ、慎重に言葉を選んでヒイロは言う。正確には、声を失ったかれは、デュオのヘルメットのヘッドアップディスプレイにメッセージを並べるのが精一杯だ。もともと話すことが得意でないヒイロにとっては、その方が楽なはずなのだが、何故だか無性にもどかしく感じられる。
"だが―――、俺は生き延びたいように思う"
「あたりまえだ、そりゃ基本だろ」
ディスプレイの文字列を食い入るように見守っていたデュオが、あきれたように言った。
「俺が聞きたいのはそんなことじゃねえよ。例えば、地球で学校に行ってた頃さ、俺たちと同じ歳の奴らが無邪気な顔して言ってたじゃん。将来どんな勉強がしたいとかさ、どんな仕事がしたいとかさ、叶うんだか叶わないんだかわかんねえような夢とかさ」
そんな記憶は、残念ながら今のヒイロの中には存在していない。しかしながらデュオの言わんとしていることは理解できた。
"それなら……多分、ある"
閉じることのできない眼を閉じるかわりに、意図的に視覚を遮断して、乱れた思考の中を見渡そうと努めた。
その結果、心の中に浮かび上がってきた思いは、かれ自身にとっても意外なものだった。
"―――船がいい"
言葉にしてから、かれは確信した。これは間違いのない願いであると。誰の願いか? それはヒイロの長い放浪の記憶が生み出したものか、あるいは宇宙を駆けるウイングゼロの中枢として造られたゼロシステムの、根幹に根ざす行動原理か?
「船? 宇宙船か?」
デュオもまた、不思議な発言を見たとばかりに首をかしげ、青い目を瞬かせる。
"この身体を、船に変えたい。宇宙を往く船でも、海を往く船でも"
(これで二つ)
そう思った時、ヒイロは自分の最後の願いが自然と決まっていることに気づいた。
聞けば、安直だとデュオは言うだろう。そう言われても構わない。

今告げなければ、永遠にこんな機会は訪れないのではないか?
(死神に願うなどと、全く俺は馬鹿げている)
それでも半ば祈るような思いを無意識の下に抱えて、ヒイロはメッセージを綴った。
"そうして、できれば、おまえと、―――どこまでも行けたらいいと"

饒舌なはずのデュオがあまりにも長い間黙り込んでしまったので、全くかれらしくないことではあるが、恐る恐る眼を開けた。
三つ編みの少年は下を向いて―――よく見れば、肩を震わせて―――笑っている。
「あっはっは、じゃあ俺が考えてたことと同じだな、と」
ついに弾かれたように笑い声をあげ、続けて息を吐き切るようにかれは言った。
"そうなのか?"
ヒイロは尋ねた。
「だってそうだろ? おまえみたいな危険物、独りで放っておけるかよ」
危険物どころか、このウイングゼロは数あるモビルスーツの中でも最強を誇る。単機でコロニーひとつを破壊し、戦場の均衡を崩しうる性能を秘めた機体なのだ。それを危険物の一言で片付けてしまうデュオは、もしかしてヒイロの心情を慮ってくれているのだろうか。
「おまえは運がいいぜ。おまえの願いを叶えてやれるのは、やっぱりこの死神様だったのさ」
デュオはそう言うが、ヒイロはそれが間違っていることを知っている。
三つの願いのうち、少なくともひとつは、いや二つ、もしかしたら三つとも、

かれがここにいたからこそ、生まれた願いだったのかも知れないのだから。

それでいい、とかれの中で区別がつかなくなった、何かの声が囁いたような気がした。

[Fin.]

すみません、練りこみが甘いような気がするので、また改訂するかも……。
ストレートにヒイロが告る話を書くのは初めてだと思います。イチニ歴満10年のくせに。